〈原作〉の記号学 日本文芸の映画的次元 書評|中村 三春(七月社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年6月2日

映画を分析することを通して文学表象の可能性を拡大する実践

〈原作〉の記号学 日本文芸の映画的次元
著 者:中村 三春
出版社:七月社
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本書は、日本文学作品を〈原作〉とする一九五〇年代の日本映画を主たる対象としながら、文学表象の「映画的次元」を扱った書物である。ここで試みられているのは、単に〈原作〉と映画作品との比較を通して監督や脚本家ら制作者の意図を明らかにしようといったことではない。映画を理論的かつ精緻に分析することを通して、文学表象の可能性を拡大しようという実践なのである。

理論的フレームとして著者が用いる「第二次テクスト理論」とは、テクストはすべて他のテクストを基礎としたり、あるいは、参照したりして成り立つものとする前提から、そうした「第二次性の次元」に注目し、第一次テクストからの〈変換〉のあり方としてテクストを捉えようとする理論である。ここでの〈変換〉は、単なる影響関係をみることに留まるものではなく、第二次テクストの出現によって第一次テクストのあり方それ自体を問うことまでをも含むものなのである。この観点からすれば「第二次テクストの方が第一次テクストに影響を与えたように見えることさえある」というのだ。この理論は、すでに著者自身が『〈変異する〉日本現代小説』(二〇一三)、『フィクションの機構2』(二〇一五)などで、同一言語および異言語間など、いずれも言語表象の上での〈変換〉を扱う上で試されてきたわけだが、それを文芸と映画における〈変換〉に応用しようというのが本書の基本的な問題意識である。

こうした実践は、文学受容としての映画という面を含む以上、さまざまな問題を抱えることになろう。なぜなら、映像化されたテクストはその受容に対して大きなバイアスをかけるものでもあるからだ。しかし本書は、そうした制約をむしろ逆手にとって、文学と映画の相関関係の新たな一面を見出すことに成功している。

本書の理論的見取り図は、川端康成『雪国』の映画的表現とそれを〈原作〉とする豊田四郎監督の映画『雪国』(一九五七)をモデルに検討した「序説 文芸の様式と映画の特性」で提示されているが、続けて、本書の表題でもある「〈原作〉の記号学」(第一章)を含む「Ⅰ 〈原作現象〉の諸相」(第一~四章)でいくつかの映画表象の具体例をもとに、その理論的拡張が図られる。すなわち、G・ジュネット『パランプセスト』(一九八二)における言語間の二次テクスト理論をベースにしつつ、映画と〈原作〉の間にみられる共時的および時系列的に原作が複数存在する《複数原作》《遡及原作》の例や、〈原作〉と映画との関係が一方向的ではない《相互原作》の例といった新たな様相を挙げながら、映画表象を扱っていくことの可能性が開示されていくのだ。こうした方法論は、後半の実践編ともいうべき「Ⅱ 展開される〈原作〉」(第五~八章)でのより精緻なテクスト解析へと繋がっている。そして、最終章にあたる「展望 第二次テクスト理論の国際的射程」では、一九五〇年代の映画表象から離れて、現代の日本文学作品を海外の映画監督・制作会社が映画化した事例を取り上げ、「第二次テクスト理論」から映画的次元を検討することの今後について述べられる。

本書で主な研究対象とされた一九五〇年代には、およそ二千本もの日本文学を原作とする映画が制作されたという。この豊饒の時代に注目して日本映画と日本文学の相関をみることで、映画と文学それぞれの特徴を最大限に捉えることを実現させたといえよう。この取り組みは、原作表象と二次創作表象、あるいは正本と異本、オリジナリナリティの所在といった表象間のヒエラルキーに対する再検討を促さずにはいない。そして、このすぐれた実践は、映画表象の分析に新たな視点を与えるばかりでなく、翻訳論、フィクション論、さらにはジェンダー論など、「テクストを読み解く」営為によって表象に迫ろうとするさまざまな理論的試みにもまた、接続可能なのである。
この記事の中でご紹介した本
〈原作〉の記号学   日本文芸の映画的次元/七月社
〈原作〉の記号学 日本文芸の映画的次元
著 者:中村 三春
出版社:七月社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年6月1日 新聞掲載(第3241号)
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