電遊奇譚 書評|藤田 祥平(筑摩書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年6月2日

通り過ぎた未来のノスタルジー 
ゲーマー文化の叙情的記録

電遊奇譚
著 者:藤田 祥平
出版社:筑摩書房
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電遊奇譚(藤田 祥平)筑摩書房
電遊奇譚
藤田 祥平
筑摩書房
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ゲームレビューには書評と違った趣がある。文章について文章で語る書評に対し、ゲームレビューは自らのプレイ体験を文章で語ることになり、架空の現実を観察したファンタジーのような雰囲気を帯びる事もある。そんなゲームレビュー文化の中でも、藤田祥平の文章は一際異彩を放っていた。

本書はゲームレビューを中心としたウェブメディアIGN Japanでの連載の書籍化。藤田が送ったゲーム漬けの日々がエッセイ形式で綴られている(クリエイティブ・ノンフィクションというジャンル名が、あとがきに相当する「作者贅言」にて提唱されている)。本書はまた、藤田がゲームを通して出会った様々な人や物に向けたメッセージでもある。出会い、遊び、別れ。考えてみれば、人間の人生とは、その繰り返しだけでも記述できるのかもしれない。

藤田はデジタルゲームを自分の人生と並べて語る。ゲーマーとしての自分と日常の自分の重なり合いのなか、藤田が見つめるデジタルゲームの勝ち負けには、他の遊びの勝ち負けにない独特の感覚がある。デジタルゲームは、ボタンを押せば快感が手に入るような単純なものではない。「私たちが本当に問題にしていたのはシステムによる冷徹な診断ではなく、もっと生臭さのある流動的な名誉だった」(二五〇頁)。

その視線は、プレイヤー文化を克明に描き出す。近年のゲーム関連書籍では、制作者側や産業面、ゲームのシステムなどについて語られる事も増えてきたが、そこにプレイヤー一人一人を語る観点が組み合わせられる事は多くない。しかし、ゲームプレイはゲーム創作と同じくらい大事だとも言えるのではないか。脚本と演技、曲と演奏、小説と書評、どちらの価値が大きいかの比較が不毛なように、ゲームプレイを単なるゲームの消費と考える事は不毛である。それは一つの表現で、ゲーマーコミュニティの経時的な記録は、貴重な資料でもある。ソフトやハードはある程度後世に残るが、人々の動きの記録はこうして語られない限り散逸する可能性が大きい。特にウェブ対戦型だと、二度と同じ状況を見る事は不可能であろう。藤田はそれを紙の上で再現してゆく。

記録は国内にとどまらない。藤田はむしろ日本人にはあまり有名でないゲームを積極的にやりこみ、海外のプレイヤーと対戦したり協力したりする。それはゲームというフィールドでの異文化交流であり、フィールドワークの新しい形にも成り得る。一部のアーリーアダプターの文化消費は、それ自体掬い上げて分析すべき重大な事柄だ。藤田は当時のプレイヤーたちに連絡を取り、掲載許可を取る。過去と現在の往復のなか、あるいは虚構と現実の往復のなか、文章は変化してゆく人間たちをつなぎとめる。

描き出される文化は、まるでサイバーパンクSFだ。かつての未来への憧れを、藤田は過去の「電子的な青春」(五三頁)のノスタルジーに置き換えて描き出す。それは、未来と非日常を志向しがちなSFにはできなかった事かもしれない。かつての早川書房の「リアル・フィクション」作品、最近流行し始めた「ゲームSF」小説、早川書房から同時期に刊行された同著者の小説『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』などと読み比べてみるのも一興だろう。電子世界と現実に同じ価値を感じるような生き方は、実は既に日常として受け取っている人も多くなっているのに、そういうSF的文化の実現は大抵何気なく見逃されてしまう。僕たちはきっと、たくさんの未来をうっかり通り過ぎているのだ。
この記事の中でご紹介した本
電遊奇譚/筑摩書房
電遊奇譚
著 者:藤田 祥平
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年6月1日 新聞掲載(第3241号)
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