追悼・かこさとしさん  「子どもたちのために」を貫いた方 小林 美香子|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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追悼
2018年6月8日

追悼・かこさとしさん 
「子どもたちのために」を貫いた方 小林 美香子

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かこさとし先生と初めてお会いしたのは、一九九八年。入社二年目で初めて編集担当した絵本だった。子どもの頃に大好きだった絵本の作家さんと本作りできるなんて! とすっかり舞い上がってしまって、この時期にどんな話をしていたのか、ほとんど記憶がない。ただ、新米編集者に対しても、作家と編集者として対等に接してくださったことだけは覚えている。

それから二〇年、さまざまな本を編集させていただいたが、何度もお伺いしたのは「これからを生きる子どもたちのために、子どもの未来に向けた本を作りたい」という言葉だ。

「本を読んだ子どもが大人になったときにも役立つよう、最低でも二〇年はもつ内容に」と様々な文献を調べ、新聞・雑誌からテレビ・ラジオまで、あらゆる情報を集めていらした。世界の偉人の生没年月日や業績が細かな字でびっしりと書き込まれた分厚い手帳を「企業秘密だけど…」とちらりと見せていただいたことがある。

博物館や水族館、研究所への取材に同行することもあった。クラゲの絵本では江ノ島水族館(当時)に行った。文章が決まってラフイラストを描き終えたものの、どうしても不明なことがあったのだ。専門家に尋ねると絵本の構成を大幅に変更しなくてはいけない間違いが見つかった。修正すると出版予定日に間に合いそうにないと頭を抱える私の隣で、「気になっていたことがわかって、すっきりしました。これで、もっとわかりやすく書くことができます」と喜んでいらしたのが印象に残っている。もちろん、原稿は正しく、わかりやすく修正され、締切もきっちり守ってくださった。

月ごとの行事の絵本の出版準備をしていたとき、東日本大震災が起こった。原稿もイラストも既に出来上がっていた『3月のまき』の内容を変更したいとおっしゃられ、東日本大震災の項目として新たな原稿とイラストを加えられた。どれも子どもに真実を伝えたいという思いを強く感じた出来事だ。

なぜ、そこまで子どもたちのことを思うのか。

その原点は戦争にある。子どもの頃、親孝行のために士官学校への進学を希望しつつも近視が進んで受験できず、軍人となった友人たちは亡くなり、戦争で死ぬはずだった自分が生き残った。戦争について深く考えず間違った判断をした自分のような過ちをしないように、自分で考え判断できる人間になってもらいたいと、「終戦後は余生」として子どもたちのためにできることをしたいと思われたのだ。

それは、子どものための本や紙芝居を作ることだけでなく、子どもの文化を研究することでもあった。ライフワークとされていた伝承遊びの研究がある。セツルメント活動で子どもから教わった絵かき遊びをきっかけに、五〇年かけて二九万点もの遊びを収集、分析された。子ども大衆の力で作られ、支持されてきた伝承遊びから、「共生」「向上心」という子どもの姿を見いだし、全四巻の『伝承遊び考』とされた。

二年前からは水をテーマにした幼い子ども向けの科学絵本に取り組まれていた。文章がほぼ固まり、そろそろラフをという今年の三月になって、納得いく絵を描くのが難しいからと、絵は別の方にお願いすることになった。四月中旬には一次ラフをもとに画家と打ち合わせをした。痛みのために何度か休憩を挟みつつもラフを最後までご覧になり、絵の修正箇所をご指摘いただいた。さらにはご自身の文章に対しても、「こりゃ、書き直さなきゃ」と厳しくダメ出し。子どもたちにわかりやすく伝えることにとことんこだわられた。

「何をどこまで伝えるか」

「編集意図をしっかり決める」

「線を引く」

「限定する」

その時におっしゃられたことだ。二次ラフのお返事をお待ちしているときに、ご逝去の知らせを受けた。

机に向かうことが難しくなり、視力が落ちても、ご家族の読み上げる原稿をベッドの上でチェックし、子どもたちからのファンレターを嬉しそうに聞いていらしたという。最後まで、「子どもたちのために」を貫いた方だった。(こばやし・みかこ=小峰書店勤務、編集者)
2018年6月8日 新聞掲載(第3242号)
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