大西巨人 文学と革命 書評|山口 直孝(翰林書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年6月9日

蔵書調査を中核として 
長期の協働作業による一大労作

大西巨人 文学と革命
著 者:山口 直孝
出版社:翰林書房
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他人の家の本棚を見るのは楽しいことだ。ましてそれが大西巨人となれば。

大西の長編『神聖喜劇』の主人公東堂太郎は並外れた記憶力を武器に、所属する軍隊組織に闘いを挑んでいく。その記憶力は、軍隊の「法」を捉え返すとともに、兵士たちのあいだで交わされる会話や議論を通して歴史・文化的なアーカイブを開いていく。物語世界は限定された時間と空間に設定されているにもかかわらず、人物の想念のなかでは自在につなぎ合わされ、それも記憶された言葉を媒介として飛躍する。こうした図書館的な知性が大西巨人の文学の重要な魅力となっている。

本書は、大西没後、遺族からその蔵書の整理を委託された二松学舎大学の山口直孝を中心とするチームによる蔵書調査を中核としている。数年間に及ぶその調査のなかで、大西が残した蔵書の特徴、書物に挟まれていた付箋やメモなどを記録し、「主要蔵書解題」として第二部「革命的知性の小宇宙」に収めている。これを挟むように、第一部では、二松学舎大で三回にわたって開催された公開ワークショップ「大西巨人の現在」の講演記録、第三部では「享受と創造」と題して、山口氏を初めとする主要メンバーによる論文、第四部に「大西巨人書誌」が収録されている。長期の協働作業による一大労作と言うほかない。

論集としては、帯にある「「大西巨人と書物」の迷宮に分け入る」という方が本来の趣旨にかなうだろう。ただし、「文学と革命」というとんがり具合から注目すべきはカ秀実による「大西巨人の『転向』」と、高澤秀次批判を展開した田代ゆき「もう一つの『俗情との結託』批判」である。なかでもカの論考は「転向」論をリニューアルし、講座派マルクス主義の知識人による大衆的現実との切断の認識にとどまらず、「主観―客観」の失調に伴う「超越論的主観性」の回復を目指したものと定位している。多くの転向知識人による柳田国男の「常民」論への接近はそこに連動したという。大西もまた然り。大西の場合はさらに柳田の抜群の記憶力に注目し、そこから「知りません」と言えず「忘れました」と答えさせる日本軍隊による言説強制への闘いを見出したのではないかと推理する。ところがその柳田は晩年に思いがけず認知症に陥った。見舞った中野重治がそれを書き、さらにそのやりとりを大西が作中に取り込んでいたことにふれ、忘却の人間的な不可避という新たな課題に恐怖したと指摘する。

カは大西巨人を神話化せず、彼が直面した不安こそ、「革命の不可避性と不可能性」という現代のアポリアにつながるのだと言う。つまり、「革命」は果たしえないが、その一方で「革命」しつづけなければならない。こうなると「革命」とはほとんど人が「生きる」ことそのものと同義にもなるように聞こえるが、アナキズム的な論の構えといい、やはり一頭地を抜いて批評的である。

しかし、そうだとすれば、大西の知的アーカイブをめぐる研究は、書物を残すだけでなく、どのように放棄したのかをも組み込むべきなのだろう。山口の報告によれば、大西の蔵書は雑誌と書籍合わせて一万冊程度だという。これは作家として多いとは言えない。「転宅」や「経済的不如意」もあるだろうが、残された書物の一方で、大西のもとを通り過ぎて消えていった数多くの書物があったはずだ。実際には不可能であるとしても、逆に網羅的でないところから、大西と書物のかかわりを考えてもいいのだと思う。

もちろん蔵書の解題は読んで楽しい。こんなものを大西巨人が読んでいたのかという発見の喜びもある。なかでも谷川徹三の著作を愛読していたのは予想外。村上春樹への関心もそうだ。江戸の随筆や漢詩文への親しみは予想されたことだが、そのリストを眺めることで鬱然としたこのリゴリズムの作家の知的快楽のありかも見えてくるように思う。
この記事の中でご紹介した本
大西巨人 文学と革命/翰林書房
大西巨人 文学と革命
著 者:山口 直孝
出版社:翰林書房
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年6月8日 新聞掲載(第3242号)
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