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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
2018年6月12日

連 載 映画と自由 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く59

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1960年代のトルコにて
HK 
 ドゥーシェさんは、普段から演劇、文学、絵画のような芸術の重要さを話しています。レストランに行けば食事の話題もよく出てきますね。ただ、旅の話だけはほとんど聞いたことがありません。僕の手元にある資料をみると、本当に世界中を旅してきたはずです。今でも毎週のように、一人で南仏やブルゴーニュに出かけていますし、夏になればボローニャやロカルノの映画祭にも呼ばれています。
JD 
 旅について話をしないのは、生活の一部として当たり前になっているからです。
HK 
 例えば、セルジュ・ダネーあたりは非常によく旅と映画の関係について話をしていました。「映画を見ること、旅をすること。同じことである。」という言葉を残しています。
JD 
 それはダネーの格言のようなものでした。確かにその通りではないですか。全てが言い表されてしまっていると思います。
HK 
 僕の観点では、映画における旅というのは、物理的にも比喩としても非常に重要な観念だと思います。
JD 
 それは当然のことです。言うまでもなく、映画は世界中の人々をありとあらゆる場所へと旅させます。その意味で、映画とは旅です。映画館の席に座り、スクリーンと向きあう、そうすると目の前には別の世界が広がります。
HK 
 わかりやすい表現では、「トラヴェリング」という技術があります。英語で旅を意味する表現です。
JD 
 言葉の表す通り、映画は最初期から旅と関係があります。しかし、本当の意味での旅をするためには身軽でいなければいけません。現実には、多くの人々はトランクを抱えながら旅をします。しかしながら、彼らは「旅」をすることができません。いつも、同じものを欲しているからです。
HK 
 ところで、ドゥーシェさんは観光のようなこともしてきたのですか。
JD 
 私のしてきた旅の多くは、映画祭やシネクラブのためのものです。観光のようなこともしてきました。しかし、何かを見て違いを感じ取るという目的においてです。私が旅をする中で興味を持っていたのは「違い」です。様々なところに出向けば、相異が見られます。日本に行けば、私の知る文化とは異なる文化が存在しています。中国には中国の文化があり、イタリアにはイタリアの文化があります。そこにはフランスとは異なる生活が存在しています。私が、旅をする中で面白く感じているのは「違い」です。
HK 
 今日の観光客とは大きく異なりますね。
JD 
 一方で今日の観光客たちが欲するのは、何かを見たということをひけらかすために写真を記録するということです。つまり、その写真の対象となった何かは、観光客の考える世界に属するだけです。そこに、「違い」が介在することはありません。
HK 
 それは、ルーヴルあたりにいる観光客だけではなく、映画の世界にも当てはまると思います。映画を作る側も観客も、「観光」が主流となった。フランス映画の良質の時代から観光的な側面はありました。60年代に入るとクロード・ルルーシュらによって観光的映画が、ヌーヴェルヴァーグの創ったものを吸収しながら再発明される。その後もセドリック・クラピシュのような観光客招致のような映画が大勝利を収めている。そして、見たことのないような世界を見せる映画は、瀕死の状態です。
JD 
 残念ながら、その通りです。

<次号へつづく>
(聞き手=久保宏樹/写真提供:シネマテーク・ブルゴーニュ)
2018年6月8日 新聞掲載(第3242号)
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