合成生物学の衝撃 書評|須田 桃子(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月9日 / 新聞掲載日:2018年6月8日(第3242号)

親がいない人工人間の予感 
多くの読者は著者の懸念に説得力を感じるだろう

合成生物学の衝撃
著 者:須田 桃子
出版社:文藝春秋
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本書の著者で、毎日新聞環境科学部の記者・須田桃子とは、STAP細胞事件の記者会見取材で何度か同席したことがある。また評者がその問題について論評的な記事を書くさい、須田が毎日新聞に書いた記事が参考になったことも多い。

本書のテーマ「合成生物学」という分野では、遺伝子が書き込まれている「DNA」を人工的につくり、そのことを通じて地球上に存在しない生物をつくり出すことを目標にしている。実際、クレイグ・ベンターという科学者らは「ミニマル・セル」と呼ばれる「親がいない」人工生物を誕生させることに成功している。

合成生物学では、たとえば「バイオブリック」と呼ばれる技術でDNAを合成する。ただそれだけでは十分ではない。そこで役に立つのが、この数年話題になり続けている遺伝子改変技術「ゲノム編集」だ。改変したDNAを合成することによって、人間にとって有用な生物を一からつくることができるかもしれない。

現在、合成生物学には、前述のベンターによる人工生物や、「合成ゲノム計画」などいくつかの流れがある。本書はそれらの歴史を、当事者たちへの直接取材などで丹念に描写する。

興味深いのは、合成生物学と軍事研究との関係だ。須田は、冷戦時代に旧ソ連で行われていた生物兵器研究が今でいう合成生物学に似ていることに気づき、アメリカに亡命したロシア人研究者をインタビューする。また、国防総省の予算が合成生物学に投資されていることを知り、その中心となっている研究機関の取材にも成功する。その過程では「兵士を能力強化する」というアイディアの存在まで浮上する。

一方、二〇〇〇年代に終了した「ヒトゲノム計画」ではゲノムを「解読する」、つまり「読む」ことを目標としていた。それに対して二〇一七年にスタートした「ゲノム合成計画」では、ゲノムを「書く」つまり「合成する」ことを目標としている。

このプロジェクトで最も議論になったのは、それが「ヒト」のゲノムで行われるべきかどうかという点だった。人間の「生命の設計図」と呼ばれることもあるゲノムを人工的につくり出すことに懸念を抱く人は多いだろう。結果的にこのプロジェクトはその名称から「ヒト」を抜いてスタートした。

この計画は、ヒトについてはあくまでも「細胞」レベルの研究だと強調されてはいるものの、須田は懸念を完全に拭い去ることはできないと述べる。というのは、ゲノム編集や合成生物学で有名なある科学者が書いた著作では、合成生物学の「クライマックス」は、ゲノムを改変した人間をつくり出すことだ、とはっきり書かれているからだ。合成生物学はその特徴上、親がいない生物をつくり出す。とすれば、改変された特別な遺伝子を持ち、かつ親がいない人工人間を誕生させることも理論的には考えられる。

須田がそうしたことを懸念しながら思い出すのは、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの小説で、映画にもなった『わたしを離さないで』である。この小説では、あらかじめ臓器提供することを運命づけられたクローン人間の若者たちの青春群像が描かれる。合成生物学による親のいない生物の誕生という衝撃は、『私を離さないで』で描かれたディストピアを想像させるのに十分であろう。だからこそ合成生物学者たちは、一般市民との議論が重要だということも強調している。それでも多くの読者は、須田の懸念に説得力を感じるのではなかろうか。

本書は、合成生物学の歴史や最前線を知るためにはもちろん、その倫理を検討する準備のためにも必読の一冊である。
この記事の中でご紹介した本
合成生物学の衝撃/文藝春秋
合成生物学の衝撃
著 者:須田 桃子
出版社:文藝春秋
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