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2018年6月12日

二つの可能世界の反復と差異の遊戯 ホン・サンス「正しい日 間違えた日」

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ホン・サンスの映画ではあらゆるものが反復する。『次の朝は他人』では、表象の反復が次々と起こる。ヒュームの哲学のように、その反復に理由はなく、人は理由を後付けする。一方、新作『正しい日 間違えた日』では、二つの可能世界の間で反復が起こる。ライプニッツの哲学のように、それぞれの世界で様々な出来事が充足理由律に従って生起する。

よその街で女に出会い、酒に酔う。それ自体、ホン・サンスの映画で何度も繰り返されてきた物語を、『正しい日 間違えた日』は二部構成で二度語る。第一部も第二部も、映画監督のチュンスが映画祭の前日に現地に到着するところから始まるが、男女のやり取りは微妙に異なるもので、その差異は次第に拡大して、結末はほぼ正反対のものになる。

前半では、チュンスの映画祭での特別講義も、絵を描く若い女性ヒジョンとの関係も上手く行かず、後半では、特別講義もヒジョンとの関係も上手く行く。つまり、チュンスにとって間違った世界は前半で、正しい世界は後半である。前半の彼は少し不真面目で、後半の彼は少し真面目に見える。前半では、男は自分が既婚者だと女に言わず、女はその事実を別人から知らされ動揺する。後半では、男は寿司屋で自分が既婚者だと彼女に打ち明け、それでも「愛している」と言うと、彼女は好意的に受け止める。直接的には、男が既婚の事実を言ったかどうかが、二人の関係の対照的な結末を導いている。特別講義の失敗と成功も、女との関係が男の心に影響を与えた結果だ。とはいえ、寿司屋での言動が間違いと正しさを分けた根本的な原因という訳ではない。前半では、女のアトリエで男は彼女の絵を無責任に褒め、女は機嫌がよくなり、その結果、寿司屋で二人の会話が盛り上がり、男は調子に乗って既婚の事実を隠したのだ。後半では、女のアトリエで男は彼女の絵を冷静に批判して、女は機嫌を損ね、その結果、寿司屋での会話はより真面目になり、男は正直に既婚の事実を語ったのだ。だが、アトリエでの言動も分岐点ではない。差異は遡るほど微細になるが、注意深く見れば、それ以前の場面での女の言動が男に影響を与えたことが分かる筈だ。明確な充足理由律の連鎖が前半と後半の両方に存在する。この映画は愛と偶然の戯れを描いているのでは決してない。

偶然的な細部もあると言うかもしれない。例えば、華城行宮の福内堂で男の前に現れるのが男女二人か女三人か、居眠りをする時にフードを被るか被らないかといった差異がある。だが、人はほとんどの場合充足理由を知りえないと、ライプニッツは述べた。男女の関係に影響を与えないかもしれないが、こうした細部にも充足理由が存在する。充足理由が未知なだけで、出来事は必然的なのだ。

では、何故二つの物語は分岐したのか。偶然が分岐を生んだのではなく、男の性格が異なるからでもない。ライプニッツの過ちは無数の可能世界を貫く同一の論理があるとしたことだ。マルチバースでは、各宇宙は異なる論理に従う。『正しい日 間違えた日』では、僅かに異なる二つの充足理由律に従って二つの物語世界が展開し、その微小な差異が顕在化するのが分岐点なのだ。この映画は全てが必然的な二つの出来事の系列を語りつつ、その系列間で反復と差異の遊戯を楽しんでいる。

今月は他に、『犯罪都市』『フロリダ・プロジェクト』『犬ヶ島』などが面白かった。また未公開だが、デヴィッド・ロウリーの『ゴースト・ストーリー』が圧倒的だった。
2018年6月8日 新聞掲載(第3242号)
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