【横尾 忠則】絵を描くことはまどろむことに似ている。眠りの中で覚醒することが陶酔ってことかな|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年6月12日

絵を描くことはまどろむことに似ている。眠りの中で覚醒することが陶酔ってことかな

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アトリエにてGLAYのTERUさんと(撮影・キセキミチコ)
2018.5.28
 GLAYのボーカル・TERUさん、20年振りにやってきた。そーか、あの頃は24歳、今43歳。20年間第一線を突っ走っている。ストーンズだって健在だし、チャーリー・ワッツは80歳? 80代のGLAYも可能だ。100歳まで生きて、また会おう。

2018.5.29
 ここんとこ夢が低調、昔のスペクタクルな夢が懐かしいと先週話したばかりだが、ぼくに変って妻が「凄い夢を見たの、こんな夢かつて一度も見たことがないわ。もうびっくりしてしまった」と言って語るのは、東北地方らしい所に旅をした。夢の導入部の記憶は思い出せないけれど、川が流れているのよ。その川にぎっしり、べったり物凄い数の仏像がいるの、茶色とか緑とか、とにかく、ウワーッとびっくりするほどの数の仏像が。いよいよお迎えが近いんじゃないのかなと思った、と言う。臨死体験夢だ。一種の霊夢だから吉兆夢と思えばいい。

新しい絵に取りかかる。キャンバスのサイズを徐々に上げていく。ぼくには特定のスタイルがないので毎回違った主題と様式。いってみれば何んでもありだ。その点「何を描こう?」という悩みはない、また努力もなし。出たとこ勝負。ハッと浮かんだものをパッと描く。だから流行りのコンセプチュアルアートではない。と言って反芸術でもない。できれば非芸術でありたい。

2018.5.30
 ドイツの美術批評家ミカエル・ヴエッツェル著『ネオジャパニスム』でデュシャンの髭のあるモナリザとぼくのモナリザの前でパンティに手を入れたピンク女の絵が比較されて論じられている。この本のカバーもぼくのロートレックを描いた絵を使用してくれている。海外ではすでにデュシャンとぼくを比較した4冊の本が出ているが、国内ではぼくの作品とデュシャンを比較対照した論は皆無だ。
ゲーテ・インスティトゥート東京ドイツ文化センターにて成相肇さんと対談(撮影・徳永明美)

「新宿泥棒日記」1969年
2018.5.31
 虎の門病院の定期診断へ。結果は問題なし。糖尿も腎臓も数値が下っている。「何かしましたか?」「先生のサゼッションに対して不養生ばかりです」「このまま現状の生活で行きましょう」とは有難いお言葉。何かのために何かをするというそんな手段を持たない、したいことをし、したくないことはしないという非目的生活の結果が「問題なし」だったというわけだ。

夕方から東京ドイツ文化センターへ。1968年をテーマにしたイベントで「新宿泥棒日記」を上映したあと、成相肇さん(東京ステーションギャラリー学芸員)とトーク。ぼくは新宿と結びつけられることが多いが、新宿はあまり知らない。「新宿泥棒日記」の映画の新宿しか知らないのだ。だからぼくの新宿は虚構化された新宿ということになるんじゃないかな? 新宿の交番襲撃事件も現実ではなく、全て映画の一場面の虚構だった。

2018.6.1
 〈周囲が田んぼのど真中にタマの家がある。タマがここに住んでおり、初めて会いに行く。数人で押しかけたのでタマは驚いて逃げようとしたが、ぼくの声に気づいて、懐かしそうな顔で、喜んで近づく。タマが以前住んでいたわが家とそっくりの家を神様に作ってもらって住んでいるので安住しているようだ(人間が死後、現世と同じ環境に住むというがその論理)。タマはこの家に一人暮しだけれど近所に友だちの猫がいて、その子がよく来るので寂しくはなさそーだ。タマがどうしてわれわれの家族から離れてこの田舎に住んでいるのだろう。もしかしたらここは死後の世界で、ぼくがダンテみたいにここを探訪して、タマに会いに来ているのかも知れない〉。生死の両界をまたぐ不思議な夢だった。

左の手の平に紫色の斑点が突然できた。絵具がついていると思ってシンナーで洗ったがとれない。原因不明? 玉川病院の中嶋先生に診てもらう。静脈出血だそーだが痛くも痒くもない。その部分に意識を集中すると、細胞は生きているので自己主張をした結果だろうと。ナポレオンが勢力地図を広げれば広げるほど、彼の腹の田虫が広がっていったようなものです。ヘェー!?

テレビ朝日「白の美術館」に出演依頼。白い空間でパフォーマンスを? ぼくにとってのパフォーマンスは絵を描くことだ。では制作中(目下60点)のタマの絵を描いてみたい。

2018.6.2
 2日続けて深夜におでんがネズミを獲って、蒲団の上でネズミをトスして遊ぶ。その挙句ネズミをなぶり殺しだ。覚醒して見る悪夢だ。

そんなわけで睡眠不足で昼間眠い。絵を描くことはまどろむことと似ている。眠りの中で覚醒することが陶酔ってことかな? この境地が持続できる才能が天才的作品を産む。ダ・ヴィンチ、ヴェラスケス、ルーベンス、レンブラント、ピカソ、キリコ、デュシャン、皆んなそーだ。

2018.6.3
 たまにぜんざいが食べたくなる。ぜんざいは脳を覚醒させる。だけど脳の覚醒は非創造的だ。最近のアートは知的欲求が強く、アートは理解するものだと主張する。デュシャンを知的に解釈するのをやめて、感性でとらえれば、デュシャンの霊性が見えてくるはずだ。逆に知性(知識)でしかデュシャンに追いつけなかったともいえる。知性が霊性を肉体から追放してしまったからだ。この次に来るものは人工脳によるアート作品だ。人間を唯物的にとらえ過ぎた結果、死まで物質化しようとしている。人間の不死に対する欲望がアートにまで及ぶ。
2018年6月8日 新聞掲載(第3242号)
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