対談=武田砂鉄×貴戸理恵 いいじゃない!!豊かなだらだらコミュニケーション 『日本の気配』(晶文社)、『「コミュ障」の社会学』(青土社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年6月15日 / 新聞掲載日:2018年6月15日(第3243号)

対談=武田砂鉄×貴戸理恵
いいじゃない!!豊かなだらだらコミュニケーション
『日本の気配』(晶文社)、『「コミュ障」の社会学』(青土社)刊行を機に

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第4回
=豊潤な深夜ラジオとファミレストーク=

貴戸 
 武田さんの言葉は、いろいろな領域と水準をまたぐように展開して、こちらを見ていたと思ったら、あちらの事例を語っている。とても刺激的でしたが、武田さんはご自分の文章を、どういう読者に向けて書いているのですか。
武田 
 かつてリリー・フランキーさんのエッセイで読んだ記憶があるのですが、最寄り駅から家まで帰る間に、ずっと同じ一つのことを考えている人間はいないだろう、と。好きな女の子のことを考えていたと思ったら、あっ、あそこに花が咲いているなとか、この店潰れちゃったのかとか、あのおばあちゃん最近元気ないなと様々なことを考える。そうやって一瞬一瞬で考えることを変化させていくのが、思考することの基本形だと思っています。文章を書くときも、同じようにあちこちから混ざり込んでくるものをそのまま記していきたいんですね。なので、宛先を書いて郵便ポストに差し出すというより、通りすがりの物事から感じた違和感でも不快感でも、もちろん爽快感でも、それらを盛り込んでしまいたい。

いわゆる研究者の文章って、帰り道に花が咲いていようが、おばあちゃんが歩いていようが、ひとまずこの道について考えているので、他の要素として排除してしまう。そういう思い込みが強すぎる気がします。もちろんそうすることで、見えてくる道もあるとは思うのですが。
貴戸 
 『紋切型社会』には、権威づけのために、印鑑的にカントを引用するな、と書いていましたね(笑)。確かにその通りだと思うんです。研究者が物を言うときには、先行研究を参照しなければいけない。それは文章の宛先が、アカデミックサークルに限定されていて、その中での通じやすさを担保するためです。でもそのせいで、見えなくなっているものもある。私は論文を書くときに、一番書きたかったことが零れていくような感じを受けることがあるんです。
武田 
 平田オリザさんが、コミュニケーションを語る上で「冗長率」という言葉を使っています。会話の中で、意味や意思を伝えるためではない、まったく関係のない言葉が含まれている割合のことです。これがコミュニケーションにとってとても大事になる、と言われている。

自分は中学の頃から今に至るまで、深夜ラジオを好きで聞いていますが、あそこには壮大な無駄があります。どこへたどり着くか分からない数時間がある。リスナーから入ってきたエピソードを適当につまみ上げて、だらだら話しているだけなのだけれど、その言葉はもれなく豊かです。

ファミレスで交わされる女性たちの会話というのも好きなのですが、あれを文字起こししたら、確実に破綻しているはず。彼氏の話で盛り上がっていたと思ったら、次の瞬間、パフェ食べたいと誰かが言い、昨晩観たテレビの話になる。でも何となく、最終的にイイ感じにまとまっていく。深夜ラジオ的なもの、ファミレストーク的なものこそが、人間らしいコミュニケーションの基本なのではないかと思っているんです。
貴戸 
 娘が幼稚園に通っているのですが、最近、役員が回ってきてしまいまして。驚くことに、役員会議は、幼稚園に子どもを送ってから、お迎えの時間まで続くんですよ。議題をこなす目的はあっても、四~五時間一緒にいたら、ぐだぐだのおしゃべりになることもあるんですよね。話があっちこっちに飛んだり、さっき決まったはずのことが、覆されたり。書記係は、大変です(笑)。どうしてこんなに非効率的なんだ、と最初は思っていました。でも、最近その意義を感じるんです。あのようにして交換される膨大な意味のない言葉が、壁を溶かしていくんです。そういうコミュニケーションでしか、生まれない連帯感や関係があるのではないかと。
武田 
 近所にある喫茶店でも盗み聞きするのですが、男子学生は、いわゆる「ひな壇芸人」を模したような会話で、自由度が高いようで低い。「ノリ悪いな」とか「こう来たら、こうだろ」みたいな、正解を模索する笑い。すっかりお笑い番組でのコミュニケーションで、それらがいかに一般に浸透しているかを思い知らされる。一年近く前にロンドンブーツの田村淳さんのラジオに出たのですが、淳さんが出ている番組って、若者たちのコミュニケーションを変えてしまっていますよ、と言いました。自分のウィークポイントを差し出し、笑ってくれるかどうかを計るなんて、ここ最近で強まったコミュニケーションです。たとえば、噛んでしまう、滑舌が悪いなんてことを笑うのは、お笑い番組でああやって扱われなければ、ここまで浸透しなかったはずです。
貴戸 
 あれは、吃音を増やしていると思います。
武田 
 学生が日常的に、「あ、今、噛んだ!」と笑う。噛むことなんて、本来、特に面白くなんてない。でもテレビの中で面白いと認定されていることだから、笑うんです。

あるミュージシャンと雑談しているときに聞いて驚いたのですが、高校の文化祭で、「アメトーーク!」を真似る企画があったそう。「滑舌悪い芸人」とか「運動神経悪い芸人」とか、そういう番組を文化祭で再現して面白がると。そこでは、弱点をキャラ化する人間が重宝されます。おそらく、クラスの人気者が司会をして、笑われ役の人間をイジる。芸人が持っている「芸の力」を一般の学生たちは持たない。それは、単に人を嘲笑う、いじめに近いものになる。なかなか地獄です。テレビのお笑い番組を再現してみることって、これまでもあったはず。ただ、現在のバラエティ番組に則ると、外に向けて個人の弱点を晒し、身を削って笑いを取ろうとする羽目になる。それは病的な対話だなと。
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この記事の中でご紹介した本
「コミュ障」の社会学/青土社
「コミュ障」の社会学
著 者:貴戸 理恵
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
日本の気配/晶文社
日本の気配
著 者:武田 砂鉄
出版社:晶文社
以下のオンライン書店でご購入できます
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