対談=武田砂鉄×貴戸理恵 いいじゃない!!豊かなだらだらコミュニケーション 『日本の気配』(晶文社)、『「コミュ障」の社会学』(青土社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年6月15日 / 新聞掲載日:2018年6月15日(第3243号)

対談=武田砂鉄×貴戸理恵
いいじゃない!!豊かなだらだらコミュニケーション
『日本の気配』(晶文社)、『「コミュ障」の社会学』(青土社)刊行を機に

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第5回
=コミュ力、コミュ障、コミュニケーション能力=


貴戸 
 私がインタビューした不登校経験のあるBさんは、スクールカーストの中で、面白くない人間だと見なされることを、異常なまでに恐れていた、と語っていますが、周囲のノリについていくことは、心底切実なことなんですよね。

今日はここに来る前に、中・高校生の前で、「コミュ障」についての話をしてきたんです。「アメトーーク!」じゃないですけれど、芸人的に人をイジって場を沸かせる、「コミュ力」が高いとされるAさんと、「頑張ってるけど空回りしている」と仲間に言われて不登校になってしまったBさんの話をして、「コミュ力」って何だろう、「コミュ障」だと名指すことが、何を生むのかと。

「私はコミュ障だから」という「自虐」的な発言は、自分が周囲に溶け込めていないことを自覚している、空気が読めているからこその言葉です。本来は、学校という小さな空間の中でうまくノリに合わせられないとしても、その人の「能力が低い」ということにはなりません。でも当人たちにとっては非常に切実で、その後の人生に尾を引くこともある。

そういう話をした後の質問で、「俺、マジでコミュ障で、このままだと彼女ができないと思うんですけれど、どうしたらいいでしょうか」と質問してくれた人がいました。二〇〇人ぐらいいる会場で、素直にそういうことを言ってくれる(笑)。だから、「大丈夫、クラスの中ではコミュ障でも、一対一の関係ならつくれる。彼女もできるよ」と言いました。
武田 
 貴戸さんの本に、「企業が大卒新卒者の採用にあたって重視した能力」一位が、二〇〇四年から二〇一七年まで一貫して「コミュニケーション能力」だとありました。コミュニケーションにいつのまにか「能力」が付着していること自体いかがなものかと思います。企業に能力を計測される学生たちにとっては切実です。
貴戸 
 学生を見ていると、コミュニケーションにこれほど繊細なのか、と驚くことがありますね。 「よっ友」ってご存知ですか。
武田 
 知らないです。アニメのタイトルか何か? 
貴戸 
 「よっ」て言うだけの関係性だそうです。 
武田 
 ……えっ、それはどういう関係なんですか。
貴戸 
 すれ違ったときに、「よっ」と言う。一緒にいる子が「誰?」と聞くと、「ただのよっ友」と。
武田 
 ただのよっ友?
貴戸 
 知り合いというほどではないけれど、顔は知っていて、名前は知らない場合もある。でも顔を見れば「よっ」と挨拶をする。 私にこの言葉を教えてくれた学生は、自分には知り合いが多いと、人に示すための関係ではないか、と言っていました。「ずっ友」というのもあるそうで。
武田 
 ずっ友?
貴戸 
 ずっと友達。
武田 
 なかなか気持ち悪いですね(笑)。
貴戸 
 ずっ友も、人に提示するための概念ですね。プリクラを撮ったときに「ずっ友」と書きこんだりするみたいです。そういうのを傍から見ていると、息苦しく思えますけど……。
武田 
 知り合いの編集者が、大学で最近のメディア事情について講義に出向くと、学生たちはとても真剣に聞いてくれたという。

ところが、ある学生から、「Twitterやってますか? フォロワー何人ですか?」と質問された。SNSを積極的にやっていない人だったので、フォロワーが二〇〇人ぐらいと答えた。そうしたら、生徒たちが「なーんだ」とがっかりするような反応を見せたという。「Twitterのフォロワー数=人間のHP」だと、本気で考えている。ずっ友とか、よっ友とか、友達を数ではかる。それがコミュニケーション能力に直結すると考え込み、彼らなりのプレッシャーに駆られているのかもしれませんね。
貴戸 
 よっ友、ずっ友は、それを第三者に見せて、友だちがたくさんいる自分を承認してもらう、という奇妙な二重構造がありますよね。TwitterやFacebookも、自分はフォロワーを惹き付けるコンテンツを配信できて承認を得られているという自信と、それを人に見てすごいと思ってもらう、ということがワンセットになっている場合がある。そのうちの何が、自己を満たしているのか。不確かで、信頼が置けないものに自己を依拠するのは、私は大丈夫なのだろうかと心配になります。
武田 
 「コミュ力」ってつまり、空気を読む力、忖度する力ですよね。今、SNSで影響力を持つインフルエンサーと呼ばれる人たちがいます。彼らが啓発本やセミナーで言うのは、ネガティブな発言はやめましょう、共感されることだけを言いましょう、ということです。つまり、自分の感じたこと、考えたことではなく、主にSNSを介して向き合っている相手が、不快に思わない言葉を投げ続けましょう、と。

どんな人でも、心にわだかまりや怒りを持っているはずですが、それを奥に押しやって、ポジティブな部分のみを抽出して人に伝えようとする。そうするとフォロワーが付いてきます、というのが彼らのレクチャーです。インフルエンサーに憧れを持つ人が多くいるわけですが、セミナーやサロンと称して、影響力を養成する講座を開く。自分の気持ちを吐き出せ、ではなく、管理して良さげに伝えろ、と言う。それはとても上滑りなコミュニケーションです。それを止める大人がいない。むしろ大人たちが、率先して進めているのが実情です。
貴戸 
 私の周りには、生きづらさを抱える人が多いのですが、ひきこもりとか不登校も、選んでその状態にいる人なんて少なくて、多くの人が抜き差しならない中で、どうしようもなくその状況に嵌っていくわけです。それを、ポジティブに変換しろとか、共感される話をしろなんて、まったくナンセンスです。それができない人たちを、不器用な人たちだと言ってしまえばそれまでです。でも自分でもコントロールできないものに取り憑かれて、深く考えざるを得ないということは、もしかしたらひとつの重要な足場なのかもしれません。彼らに限らず、そもそも自分がどういう気持ちになるかと言うことは、コントロールできるものではない。逆にその不器用さが、強みであるような気もしますね。
武田 
 そう思います。共感やポジティブばかりを追い、他をそぎ落とす。それを繰り返していれば、気づけば足場がない、という事態にも陥りかねない。自分を見つめるのではなく、対面している不特定多数を心地よくさせることに尽力していたら、もし自分だったら、自分を見失ってしまうでしょうから。
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この記事の中でご紹介した本
「コミュ障」の社会学/青土社
「コミュ障」の社会学
著 者:貴戸 理恵
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
日本の気配/晶文社
日本の気配
著 者:武田 砂鉄
出版社:晶文社
以下のオンライン書店でご購入できます
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