小笠原諸島の混合言語の歴史と構造 日本元来の多文化共生社会で起きた言語接触 書評|ダニエル・ロング(ひつじ書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年6月16日 / 新聞掲載日:2018年6月15日(第3243号)

「進化の実験場」に見る言葉の物語 
「返還」50周年の節目に

小笠原諸島の混合言語の歴史と構造 日本元来の多文化共生社会で起きた言語接触
著 者:ダニエル・ロング
出版社:ひつじ書房
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言葉の研究をしていると、いかに「国境」というものが人為的なものか思い知らされる。言葉は簡単に国境を飛び越える。地続きで国境を接する国は言うまでもなく、周囲を海に囲まれた日本であっても古くから、たくさんの「外国語」を内に取り入れてきた。世界中どこであっても、程度の差こそあれ、言葉は連綿と接触や変化を繰り返している。

ゆったりとした時間の流れの中に身を置くと、その変化に気が付きにくいが、生物学者たちが「進化の実験場」と呼ぶ小笠原諸島では、言葉とそれを取り巻く社会のめまぐるしい変化についても、わずか180年という短い時系列の中で見ることができる。

本書は、著者の20年にわたるフィールドワークの集大成とも言える著作である。1830年に人が住み始めてから現在に至るまでの小笠原の言葉の移り変わりが、まるで歴史小説を紡ぐように描き出される。わずか180年足らずの島の歴史の中で、著者がフィールドワークに費やした20年間という時間が持つ意義は大きい。著者は、歴史的記録の分析と、島民への丹念な聞き取り調査、そして言語学的な裏付けから、その時々の小笠原の言葉のありようを生き生きと描いていく。

1830年、小笠原諸島父島の最初の入植者は、5人の西洋人と彼らがサンドウィッチ諸島(ハワイ)から連れてきたカナカ人(太平洋の諸民族の総称)だった。5人の西洋人の内訳は、英語母語話者が3人、デンマーク語とイタリア語の母語話者がそれぞれ1人ずつ。島の歴史の最初から、多言語環境だったのである。その後も、島には世界各地から様々な言語を話す人々がやって来るが、著者は当時の島の言葉を、「数種類の非母語話者英語と母語話者英語が融合したピジン英語」だったと推測する。

1870年代になると、日本人の入植により、島に新たに日本語がもたらされ、彼らの言語と接触を繰り返していく。1876年には、正式に日本統治が始まり、学校教育も始まることになるが、驚くべきことに、島の学校では日本語と英語の両方で授業が行われていたという。日本人が英語を学び、欧米系島民が日本語を学ぶ、そんな環境が小笠原にはすでにあった。多文化共生社会をどのように生きるか――、現代日本が直面する課題に、小笠原ではずいぶん前から取り組んでいたのだ。

この間も、日本語との接触は繰り返され、ついに、欧米系島民の間に、日本語と英語の文法・音韻・語彙の特徴が複雑に絡み合った「小笠原混合言語」が成立する。
「Typhoonのとき、threedaysぐらい雨が降って、meらのhouseの中はwaterがuptokneeだったよ。」

著者が「華々しい」と形容する小笠原混合言語は、戦時中の全島疎開から欧米系島民だけの帰島が許された戦後の米海軍統治時代にもっとも輝きを放つ。「日本人」が立ち入れなかった23年間の暮らしぶりが、彼ら独特の語りから生き生きと伝わってくる。

島に住む欧米系島民自身は、「日本語と英語をただ混ぜているだけ」と答えるが、その混ぜ方にもきちんとしたルールがあることを、著者は丁寧に解明していく。小笠原混合言語が紛れもない「言語」であることを証明する作業は、同時に欧米系島民の言語コンプレックスを取り去る作業でもある。

国境を超えるのは言葉だけではない。そこには必ず人の移動があり、接触がある。著者は小笠原の言葉の歴史だけではなく、島民のアイデンティティにも目を向ける。インタビューの中で島に住む欧米系島民の一人は、自身のアイデンティティについて「私が日本人であるかアメリカ人であるかという問題ではない、私は小笠原島民だ」と答えている。

今年、日本返還50年に沸く小笠原諸島であるが、本書を読むと、「返還」という言葉が果してふさわしいのか思い悩む。これまで世界中からこの島にやって来て根を下ろした「小笠原島民」に思いを馳せ、「返還」という言葉の意味をもう一度問い直す必要があるのではないだろうか。
この記事の中でご紹介した本
小笠原諸島の混合言語の歴史と構造    日本元来の多文化共生社会で起きた言語接触/ひつじ書房
小笠原諸島の混合言語の歴史と構造 日本元来の多文化共生社会で起きた言語接触
著 者:ダニエル・ロング
出版社:ひつじ書房
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