嵐 書評|J・M・G・ル・クレジオ(作品社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年6月13日

生誕を生き直す 他者との出会いを一種のイニシエーションとして


著 者:J・M・G・ル・クレジオ
出版社:作品社
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嵐(J・M・G・ル・クレジオ)作品社

J・M・G・ル・クレジオ
作品社
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一昨年の『隔離の島』(原書一九九五年)に続き、中地義和氏によるル・クレジオの小説の翻訳が刊行された。今回は原書も二〇一四年に刊行された新刊だが、長篇ではなく、「嵐」と「わたしは誰?」と題された二篇の中篇で構成されている。二篇の中篇には、自己の出生に関わるアイデンティティに問題を抱えた、具体的には、片親が不明の少女が、自らのルーツを探り、あるいは夢見、他者との出会いを一種のイニシエーションとしていわば自らの生誕を生き直す、という共通性がある。筋の共通性としては、そのことは明らかなのだが、しかし、読みながら受ける印象はすいぶん異なる。表題作「嵐」の方は、抽象的、幻想的であり、死の主題が底流にあって二人の主人公――少女と初老の男――がそれによってこそ結ばれているとしても、全体のトーンはけっして陰鬱ではなく、たえず希望がほの見えている。それは少女にとって、母と海という絶対的な包容力をもつものが、つねにそばに寄り添っているからだろう。都会の慌ただしい生活とは縁遠い小島が舞台であることも、そこには関係しているように思われる。対して、「わたしは誰?」の方は、より現実的で、ぎすぎすとして世知辛く、語り手は、自分を絶対的に守ってくれる母にして海のような存在を片時ももつことなく、自分一人で大人にならなければならない。それゆえ、自暴自棄になって街を歩き回り、建物に火を放つことにもなる。こちらの舞台は、ガーナの都市タコラディからパリの郊外へ、そしてフランスの地方都市を経て再びガーナの故郷近くの街へと移り変わっており、街が舞台となっていることも、作品の雰囲気に関係しているだろう。どことなく文体も二篇で異なるように感じられる。評者には、表題作の方がよりル・クレジオらしいように思われた。以下では、こちらの方に焦点をあててみよう。

「嵐」は島が舞台となっており、その点では『隔離の島』と共通しているが、今度の「島」はインド洋のそれではなく、済州島の東に位置する牛島という小島のようである。のようである、というのは、訳注や周到な訳者あとがきを読めばそうしたことがわかるのだが、本文には、「ヘニョこと牛島の海女たちに」というエピグラフを除けば、舞台となっている場所がはっきりと特定できるような記述があるわけではない。ときに「安藤忠雄」などという固有名が現れて、時代がほぼ現代であることを窺わせたりはするものの、全体としての筆致は現実に迫るというよりは抽象性を保ったもので、特定の地名よりも「島」や「海」といったトポスが象徴的に浮かび上がるような書き方がなされている。文章は、ル・クレジオの作品一般に言えることとはいえ、とりわけシンプルな短文の連なりとなっている。何より特筆すべきは、物語が細部まで精妙に構造化され、いくつもの相同性や対称性が埋め込まれていることである。それゆえ、読み進むにつれて、様々な要素が自然と二重写しに見えてくるようになっている。こうしたことが、登場人物たちがくりかえし夢を見る、あるいはむしろ、夢のなかに生きている、ということを超えて、この物語をどこか幻想的なものにしている。そうした構造的な美について、最後に具体的に示しておこう。

物語は、三十年ぶりに島にやって来た初老の男と、やはり外からやって来て、海女の母と共に島に住んでいる十三歳の少女の交互の語りで構成されている。防波堤で少女が男に話しかけたところから、二人の関係が始まる。「嘘」のない「友達」になれると、少女は信じる。男は戦争中に強姦を傍観していた罪で投獄されていた過去があり、そこから逃れるようにしてメアリーという女――GIの強姦から生まれ、養父母に育てられた――とこの島にやって来たのが三十年前である。そこでメアリーは、海のなかをただ歩いてゆくようにして入水した。やはり米兵だったらしき父の身体的特徴を受け継いでいる少女は、よそ者の男に父親を重ね見る。男からメアリーの話を聞いた少女は、夢のなかで見た海の底に横たわる女の子をメアリーに重ねる。男と離れることを決めた後、少女はその女の子に会いに行こうと海に潜る。けれども彼女は死なない。海女たちと母に助け出される。蘇った彼女は母と共に、母を支えて生きてゆくだろう。海は死と生を繋ぐ場所、再生の場所である。(中地義和訳)
この記事の中でご紹介した本
嵐/作品社
著 者:J・M・G・ル・クレジオ
出版社:作品社
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2016年1月1日 新聞掲載(第3121号)
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