聞こえくる過去 書評|ジョナサン・スターン(インスクリプト)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月14日 / 新聞掲載日:2016年1月1日(第3121号)

「聞くことの条件」をめぐる解析の試み 
音響文化、聴覚文化における今後の参照点に

聞こえくる過去
著 者:ジョナサン・スターン
出版社:インスクリプト
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〈聞く〉ことのうちに孕まれる歴史の積層を白日のもとに晒すこと。聴覚的現前というフィクションを成り立たせている媒介の厚みを周波数分析にかけること――ジョナサン・スターンの大著『聞こえくる過去』がおこなう「音響再生産の文化的起源」の探求とは、そうした「聞くことの条件」をめぐる解析の試みである。原題は「AudiblePast」、近代においてaudibleすなわち可聴的であるということを成立させてきた多様な、そして意識されざる社会的・文化的文脈が、ひとつまたひとつと解きほぐされ、また再接続されてゆく。

「音響再生産」とは何か。これは「soundrepro―
duction」の訳語である。一般にエディソンのフォノグラフという録音再生装置に「起源」の身分が与えられるこの語に、「音響複製」ではなくあえて「再生産」という訳語をあてることで強調されるのは、スターンがこの語に与えた「音を何か別のものに変えて、さらにその何かを音に戻す」という定義だ。この定義に従うならば、「再生産」された音響とは、「オリジナル」の絶対性から解放された、固有の意味と価値を有する存在として捉えられる。その帰結として、録音再生とは関わりのない、そして相互に関連を見出すことの困難なさまざまの技術や実践が、「再生産」という一点において同一の地平に集合せられ、と同時に「起源」はそれらのうちに複数化してゆく。本書では、この複数化した起源がおよそ18世紀後半から19世紀初頭にかけての音響学、生理学、耳科学、医学、電信・電話などの通信技術、そしてもちろん音楽産業など、きわめて広範な領域のうちに探査される。

切れ味のよい概念装置が次々に提起され、それが「再生産」とは一見関わりのない事例によって鮮やかに輪郭づけられる。19世紀に生まれた音響再生産装置に通底する特徴が「鼓膜的メカニズム」という概念によって把握されると、その典型が「イヤー・フォノトグラフ」という奇怪な事例――フォノグラフ以前に存在した音響の視覚化装置に、屍体から取り出した人間の中耳をとりつけたもの――によって表象される。聴取を他感覚から分離して合理性へと結びつける身体技法が「聴覚型の技法」なる概念によって捉えられるや、そこで論及されるのは聴診器による間接聴診法や電信技師らによるプロフェッショナルな営みの数々だ。理論と事例とを往復しつつ重層的に明かされるのは、「聴取」という営為が徹底して歴史的な存在であるということ、またそれが「聴覚」とはまったく水準の異なる事象だ、ということである。と同時に、聴覚に非歴史的な固有性を見出し、その「本質」を視覚との対比によって捉える根深いドクサの数々が、「視聴覚連禱」の名のもとに退けられる。

圧倒的な史料踏査のうえに展開される「起源」の探求。しかしそれは、この史書が素朴に「実証的」であることを意味しない。時にアナロジーも辞さずに展開されるのは「聞くことの系譜学」と言うべきものであり、そこにはミシェル・フーコーの影が濃厚だ。しかし、たとえば間接聴診法による「聴取の技法」の生成を論じながら『臨床医学の誕生』におけるフーコーの「眼差し」への拘泥を批判し、彼のうちに伏在する「視聴覚連禱」を浮き彫りにするところなど、フーコーによるフーコー批判の趣きもあり、なかなか一筋縄ではいかない。また音響再生産技術の「鼓膜的メカニズム」成立の条件を耳科学や生理学など身体を対象とする諸学に探ってゆくくだりには、やはりフーコーの、そして美術史家ジョナサン・クレーリーの視覚論が強力なフォーマットとして機能していることは疑いないが、一方でスターンは「エピステーメーの断絶」というフーコー~クレーリー的思考には留保を示し、聴覚的認識をめぐる歴史のなかに複数の亀裂と転変を見出す。資料の博捜に基づきながらも軛としての実証からは身をかわし、同時に「断絶」史観の踏襲からも自由であろうとする記述には、後続世代としての批判意識を見ることが出来る。またそれは、彼のいう「聴覚による啓蒙主義ensoniment」の歴史的跡づけを、聴覚についての本質主義的把握を退けつつおこなうという困難な道行きが招請した必然的帰結である、と言うことも出来よう。

ともあれ本書が、音響文化、聴覚文化をめぐる研究のマイルストーンであり、この分野における今後の参照点となることは疑いない。読者は、イントロダクションをひとわたり眺めたのち、自身の関心と共鳴する部分からこの「起源」をめぐる旅を経巡ってゆけばよい。明快な訳者解説、そして原著の重厚さに見合った註や索引の充実も、この旅を豊かなものとしてくれるだろう。(中川克志、金子智太郎、谷口文和訳)
この記事の中でご紹介した本
聞こえくる過去/インスクリプト
聞こえくる過去
著 者:ジョナサン・スターン
出版社:インスクリプト
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