テクストの擁護者たち 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生 書評|アンソニー・グラフトン(勁草書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月14日 / 新聞掲載日:2016年1月1日(第3121号)

広く読まれるべき力作 
西洋における人文主義的系譜の歴史像を決定的に豊かに刷新

テクストの擁護者たち 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生
著 者:アンソニー・グラフトン
出版社:勁草書房
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ひとりの個なり、ひとつの時代なり、かつて生きていたものが抱いていた世界像を、忘却から救出するには、どうしたらよいのか。むろん、この問いに答えるしかたはさまざまあるだろう。だが、このような問いの立てかた、問いの形式そのものは、いったいいつ、いかなるかたちで生まれたのであろうか。そして、世界を忘却から救出することによって、ひとは何をしようというのだろうか。

人文学という学問の成立は、この問いと、本質的な関係をもつ。人間が発見し、人間が認識した世界のありようを、文化や時代を隔てて掘り起こし、その真価を再発見する精神の働き。出発点は、人間たちの遺した言葉である。言葉の多くは、書承されたテクストとして、現在に伝わる。テクストは伝承の時間を経て、元の姿が損なわれ、原初の透明さも失われている。それを再建し、復元するためには、テクストの綿密な考証と読みが必要だ。その技術を極限まで研ぎ澄ませたところに、人文学が生まれる。

著者アンソニー・グラフトンは、留学先のウォーバーグ研究所を根拠にルネサンス研究に新地平を拓いた80年代以来、ヨーロッパの知の歴史の把握にかんする鋭い問題提起を続けてきた。本書はグラフトンの問題意識が最も鮮明に伝わる著作だといえよう。テクストの考証と解釈の技術が西洋の学問史の上でいかに根幹的な役割をはたしたのか。それを描き出すために、グラフトンはふたつの対照的な手法を用いる。その自在な往還が本書の魅力をなす。

ひとつは、ヨーロッパ近代までを貫く人文学の潮流を巨視的に捉える全体史的な視点だ。従来の解釈の主潮とは異なり、いかに人文主義がけっしてとだえることのない知の持続的な水脈であり続けたのかを、本書は豊富な実例をもって多面的に論証している。

ここには、人文学をめぐる思想史の常識ふたつへの、批判的仮説がくみこまれている。ひとつは一七世紀以後、新科学の台頭とともにルネサンス人文主義の古典復興の気運は急速に衰退し、時代の主潮はデカルトやガリレイらの打ち出す近代科学へと移行したとする科学中心史観。もうひとつは、一七世紀以後の人文学を細部に拘泥した不毛な衒学と断じ、一九世紀ドイツ古典文献学の劃期的な近代性を称揚する近代中心史観である。ふたつの説はたがいに支えあい、近代を実証科学の発展がもたらした歴史的達成とみなす強固な進歩史観の下に形成されてきた。

本書はどちらの説にも疑問を投げかける。新科学を近代の牽引役とする一方で、人文学者を過去の迷信と錯誤のとりことみなし、両者を水と油のように分離する見方は、実態に即していない。本書で論じられるケプラーはその格好の例だ。かれは天文学者であると同時に、その天文学の体系化は古典古代の人文学的素養に深く依存していた。

ヨーロッパ初期近代の文献学がどれほど豊かな歴史感覚と批評意識をもって、テクストを脈々と読み継いできたか。フィレンツェ・ルネサンスを代表する人文学者ポリツィアーノ、一七世紀ジュネーヴのカゾボン、一八世紀英国のリチャード・ベントリーらの文献批判と考証の系譜はそれを例証する。一五世紀イタリア学僧アンニウスによる古典の偽書、一七世紀フランスのラ・ペレールが拓いた聖書本文批判の伝統もまた、人文学の学識と批評の実践が、この時代の知の営みにどこまで深く達していたかを明らかにするものだ。

本書のもうひとつのすぐれた点は、人文学者たちによる古典の読みの深層とその奥行きを資料の解析を通じて細やかに探りあてていく、その道筋の正確さにある。人文学者の目は、ひとつひとつの言葉が書きつけられるその瞬間の書き手の意志や葛藤、言葉の地層に隠された昔日の論争、知識の構造、信仰や信念の体系、つまりはひとつの時代を包む知性の息吹の全体を、あますことなく読み取ろうとしてテクストに注がれる。グラフトンの手さばきも、かれのあつかう人文学者の手腕同様の冴えをみせる。その意味で本書の白眉は、宗教戦争の渦中に書かれた一六世紀人文学者スカリゲル『年代校訂』を論じた、第四章であろう。

巨視的視点と微視的視点を交叉させることによって、本書は西洋における人文主義的系譜の歴史像を決定的に豊かに刷新した。訳文も読みやすい。監修者ヒロ・ヒライによる解説も行き届いている。時代の混迷と分裂のなかで真理のゆくえが不透明さを増すとき、万人が受容しうる透明な読みの原則を探り続けながら、過去のテクストを読み継いでいくこと。人文学の危機が大きな懸念をもって語られる現在、その原点をふたたび問うためにも、広く読まれるべき力作である。(福西亮輔訳/ヒロ・ヒライ監訳・解題)
この記事の中でご紹介した本
テクストの擁護者たち  近代ヨーロッパにおける人文学の誕生/勁草書房
テクストの擁護者たち 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生
著 者:アンソニー・グラフトン
出版社:勁草書房
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