私は中国人民解放軍の兵士だった 山邉悠喜子の終わりなき旅 書評|小林 節子(明石書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年6月14日

植民地主義の実相をえぐりだす 
すべての日本人に向けた根源的な問いかけ

私は中国人民解放軍の兵士だった 山邉悠喜子の終わりなき旅
著 者:小林 節子
出版社:明石書店
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表紙に登場する写真は読者に重い問いを投げかける。そこには中国人民解放軍の軍服と制帽を身に付けたふたりの日本人の男女が写っている。ふたりは人民解放軍の兵士として知り合いやがて結ばれる。女性の山邊悠喜子は満州で敗戦を迎え日本軍に見捨てられて取り残されて、解放軍の呼びかけで東北民主聯軍に参加し、医療部隊の衛生兵として中国東北部から海南島にいたる各地で医療活動に携わった。

山邊は満州での生活や解放軍の暮らしを通して、侵略者の日本軍とは対照的な生活倫理を中国から学びとる。日本軍は中国農村の食料や生活用具を盗奪し村民を虐殺し女性を犯した。日本居留民会は敗戦時にソ連軍の進駐した満州で日本女性をソ連軍に差し出した。日本人軍民のこのような行動とは対照的に、八路軍の兵士は山邊の家庭から借りた鍋に大根を入れて返しにやってきた。村人は八路軍の傷ついた兵士を我が子のように懸命に手当てする。この倫理に触れたとき、山邊から日本に早く帰りたいという気持ちが消え去り、中国の民衆が自己のアイデンティティとなる。

中国での民衆の生活倫理を身につけた山邊夫妻にとって、この原経験は1953年に日本に戻って以降のふたりの生きる道を方向づける。山邊夫妻の眼からは、米軍に従属し経済成長にひた走る戦後日本の社会が異常に見えた。東京の空間を占拠する広大な横田基地、人間関係を敵対的で疎遠なものにし排他的な私益に執着する感覚を増幅させた高度成長。山邊夫妻にとってそのような日本の風景は「順応」することのできない異郷でしかなかった。そこに見えてくるのは、侵略と植民地の戦前が再現した日本の姿であった。

日本人は軍服を背広に着替えて戦前と同じ規範で戦後社会を走り続けている。

山邊夫妻はそのような戦後日本とは対極の道を生きようとする。山邊夫妻は日本軍が侵略戦争で犯した罪を放置し続ける戦後日本社会のなかでその罪を問い続ける仕事に専念する。東北の花岡鉱山で虐待に抗議して立ち上がった中国人労働者を虐殺した花岡事件について、日本政府と鹿島建設に謝罪と補償を求める訴訟への参加、細菌を散布し、捕虜を人体実験に使った731部隊の摘発の取り組みなど。中国での農民や捕虜を花岡に連行し過酷な労働を強いたうえかれらの生活と生命を破壊した行為に対して鹿島建設も日本政府もそして日本の裁判所もその責任をとろうとしない。捕虜や農民のからだを生きたまま切り裂き毒ガス弾を遺棄したまま逃げ帰った731部隊の事実を押し隠し続ける日本。山邊はこの責任をみずからの人生において引き受けようと懸命になる。

著者の小林節子はこの山邊夫妻の生きざまを丹念にたどる。山邊夫妻の人生はそれ自身が戦後日本の根源にとどまり続ける植民地主義の実相をえぐりだすものであり、すべての日本人に向けた根源的な問いかけとなっている。

「なぜあなたはそんなにも中国に対して関心が深いのですか?」。山邊に対して発せられるこの問いは、本書を読了した後で、じつは質問者自身に逆に向けられるものであることがわかる。<あなたはなぜ日本が犯したこれほどに重い犯罪を放置し続けることができるのか>、と。

山邊夫妻の生き方は、日本の植民地主義と侵略戦争によって切り裂かれてきた中国と日本の関係を倫理と生活感覚の次元から解体し再創造する道筋を照らしているのではないだろうか。

「山邊さんの戦争責任の取り方を、国民一人ひとりが自分のものにすることをおいて、アジアの一員として平和を口にする資格はない」、という著者のあとがきの言葉が重く響く。
この記事の中でご紹介した本
私は中国人民解放軍の兵士だった  山邉悠喜子の終わりなき旅 /明石書店
私は中国人民解放軍の兵士だった 山邉悠喜子の終わりなき旅
著 者:小林 節子
出版社:明石書店
以下のオンライン書店でご購入できます
2016年1月1日 新聞掲載(第3121号)
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