教師像 文学に見る 書評|綾目 広治(新読書社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月20日 / 新聞掲載日:2016年1月8日(第3122号)

教師像 文学に見る 書評
時代における「像」が浮かぶ
日本近代史をも透かし見せる教師像の変遷

教師像 文学に見る
著 者:綾目 広治
出版社:新読書社
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今年の六月、この春に大学院を出て母校に戻って高校教師となった教え子が、相談があると訪ねてきた。平日の昼だったので少し訝ったが、やはり既に休職しているのだという。ここのところ毎年、夏前になると社会に巣立った教え子たちからさまざまSOSを受け取るが、教師はとりわけ大変な職のように見える。データを見ても、就職から三年以内の離職率は教育・学習支援が最も高い。これはすなわち、職に就く前のイメージと、実際に教壇に立ったときの現実のギャップがどれほど大きいかを意味している。彼らが小学校から少なくとも学部卒業までの十六年間、生徒として観察してきたはずの「教師像」は、実は間違っていた、ということなのだろう。それではそもそも一般に「教師」はどのようにイメージされてきたのだろうか。

本書は明治期からの文学に登場する大勢の教師たちを時代順に(といっても執筆年代順ではなく、物語の舞台となっている年代順に)ずらりと並べて見せる。もちろん文学作品である以上、書き手の個性が大きく反映されているはずではあるが、そこにはあまり深く踏み込まず、数多く例を挙げることによって時代における「像」を浮かび上がらせる。 久保田万太郎の『大寺学校』のように、名前だけは聞いたことがあるが未読の作品も少なからず、吉川英治に絶賛されたという添田知道『教育者』などのように、存在すら知らなかった作品も挙げられ、自分の不学を恥じるしかないが、石田衣良や乙一の作品まで、現代にも目配りの利いた博捜ぶりにはただただ舌を巻くしかない。このデータの豊富さが説得力を増す。 明治期Ⅰ・Ⅱ、大正期、戦前昭和期Ⅰ・Ⅱ、戦後期、高度成長期から現代へ、現代と八つの章に分けて典型的教師像を提示する。そのさまざまな「像」をここで安易に列挙するのは止めておこう。ただ、明治期や戦前昭和期のように、Ⅰ・Ⅱ部に分かれるのは、同じ一つの時代に全く相反する教師像が現出したからだ、と言えば、それだけである程度想像がつくに違いない。綾目がそれぞれの時代の「教師像」を炙り出すにあたって特に注意した軸は、「国家」なる巨大なものと、「生徒一人ひとり」、とりわけその中でも貧しかったり障碍を抱えていたりという小さきものを両極とした場合の教師の立ち位置である。明治と太平洋戦争の時代には、教師たちはこの両極のどちらかに大きく振れたのだ。 
だからもちろん、これはたんなる教師像カタログではなく、教訓をも含んでいる。教師を職とする者にとってはもちろんだが、話はそこだけにとどまらない。教師像の変遷は、近代教育の変遷そのものでもあり、ひいては日本近代史をまで透かし見せる。時代の反映が最もはっきりと見えるのが教師という職業なのかもしれない。近年の教育改革とやらの混乱ぶりを見ても、そのときどきの政治の風向きにとことん翻弄されてしまう。だからこそ、誰しもがそれを他山の石として、時代の変化にどう対抗していくべきかを学ぶこともできる。

とりわけあるいはこれから教師になろうとしているならば、この仕事には、政治から、経済から、子どもから、親からと四方からの圧力があることを身をもって知るだろう。そのなかでどう自分自身の「像」を作り上げていくか。本書を通じてさまざまな「像」を前もって見ることにより、理想と現実とを上手にすり合わせていくことができるだろう。
この記事の中でご紹介した本
教師像  文学に見る/新読書社
教師像 文学に見る
著 者:綾目 広治
出版社:新読書社
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