この冬の私はあの蜜柑だ 書評|片岡 義男(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月20日 / 新聞掲載日:2016年1月8日(第3122号)

この冬の私はあの蜜柑だ 書評
父性の喪失した時代に
こういう時代だからこそ片岡義男を読もう

この冬の私はあの蜜柑だ
著 者:片岡 義男
出版社:講談社
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現代社会の大きな問題のひとつが、少子高齢社会である。平均寿命は延びているのだが、健康寿命はどこまでいけるだろうか。団塊世代を中心とする社会問題である。いっぽうで、少子社会の実態は、四十歳代の団塊ジュニアたちが結婚をしないところにあるようだ。団塊世代は、高度経済成長をささえてきた。マイホーム主義とがんばる世代だ。喫茶店での議論やコーヒー文化をささえた人たちである。こうした文化は、少子社会に対応する団塊ジュニアたちにも、引き継がれている。

こんなことを書きはじめたのも、片岡義男の短編集『この冬の私はあの蜜柑だ』を読んだからだ。短編集は、夏のイメージの強い『愛は真夏の砂浜』からはじまり、冬のイメージを喚起する炬燵と蜜柑の表題作で終る、九つの独立したショート・ストーリーからなる。ニュー感覚の文芸誌「イン・ザ・シティ」に掲載されたものだ。 そこにみえてくるのは、都会の生活のなかで、団塊世代の「少年時代」の面影を共通感覚として脳にきざむような短編小説群である。登場人物は、三十五歳から四十歳代の団塊ジュニアの作家と編集者たちだ。すべて独身である。作家の被写体である東京の街や沿線を舞台として、コーヒーの風景が、どの小説にも登場する。団塊の世代がすきだったコーヒーを、団塊ジュニアも、無意識に文化として継承している。冬の「炬燵蜜柑」も夏の「葡萄味のアイスキャンディー」も、『銭湯ビール冷奴』や『春菊とミニ・スカートで完璧』『フォカッチャは夕暮れに焼ける』のイメージも、同じくなつかしさがこもる。

片岡義男の小説空間には、ヘミングウェイがプールのテラスやカフェで書き込んだハードボイルドの作家の息づかいがある。できる限り、心の感情を表さないように書くリアリズムである。身体の影の動きが、すべての心理を語る、全身体論的な文体だ。アメリカの影が、ポップやジャズとして、あるいは、探偵小説や推理小説としてやってきた。あの時代のほうがよかったね、いまよりよかった時代があったかもしれない、そうした時代が思い起こされてくる。いっぽうで、これまでに片岡義男の小説には、女性の評論家からの多くの論評がある。現代の社会に浸透する、若者たちのジェンダーのゆらぎにたいして、片岡義男の描く男性と女性との関係は、とても平等だ。生活や仕事のスタイルだけでなく、女性が男性との関係のなかで解放され、男性も活発で、はぎれのよい女性によって解放されていく。現代の女性を知りたければ、これらの小説を読むとよいといっていい。現代女性とむきあうためには、片岡義男の小説が参考になる。 かつて、私の時代がやってくるとかたった音楽家がいた。片岡義男の小説は、色彩のあるアイスキャンディーや炬燵蜜柑がノスタルジーをかもす、現代文学のエンターテイメントだ。こういう時代だからこそ、いまだから読もう。団塊世代の生活をアナロジカルな文化とする団塊ジュ二アたちを描く、片岡義男の軽妙な小説空間が、父性の喪失した時代にやってきた。生活文化の土台が変化した現代の時代に、新たなスタートを切らなければならない。団塊世代にとっては、井上陽水の「少年時代」のなかから再起を、団塊ジュニアにとっては、「現在進行形」の生活のなかから未来を。
この記事の中でご紹介した本
この冬の私はあの蜜柑だ/講談社
この冬の私はあの蜜柑だ
著 者:片岡 義男
出版社:講談社
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