ジョルジュ・バタイユの反建築 ――コンコルド広場占拠 書評|ドゥニ・オリエ(水声社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月24日 / 新聞掲載日:2016年1月15日(第3123号)

ジョルジュ・バタイユの反建築 ――コンコルド広場占拠 書評
バタイユの残した膨大なテクストに新しい読みの可能性を聞く

ジョルジュ・バタイユの反建築 ――コンコルド広場占拠
著 者:ドゥニ・オリエ
出版社:水声社
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本書を前にして、「何を今更」と首を傾げる向きも識者の一部にはあるかもしれない。何しろ原著がフランスで出版されたのは今から四十年以上まえのこと(初版は一九七四年に刊行)であり、英語版(一九八九)が話題になった時期から数えてもすでに相当の年月が経過しているし、加えて著者の用語法や実験的・挑発的な試みのいくつかは、出版当時の知的風土を彷彿とさせるまさにその程度において、過ぎ去った一時代の古びた手すさびを思わせないでもないからだ。だがにもかかわらず、ドゥニ・オリエの主著にあたるこの書物が英米圏を中心に広く読みつがれ、今日訳者たちが日本語に移し替える労苦を引き受けたのは、それが一作家についてのモノグラフィー(原著の副題は「バタイユについての試論」)をはるかに超える射程をもち、刺激に充ちた読書を今もなおわれわれに保証しているからにほかならない。

もとより本書が優れたバタイユ論であることについては贅言を要しない。『ドキュマン』誌に掲載された短文「不定形」が蔵する可能性に光をあて、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの浩瀚なバタイユ論やロザリンド・クラウスの写真論・現代芸術論に刺激を与えたことはよく知られているが、一九二〇年代終わりから書き継がれた「松果体の眼」をめぐる草稿群とそこに見いだされる特異な去勢概念を浮き彫りにするくだりや、エロティック文学というジャンルについて問うことから始めて作家の物語作品へと迫っていく箇所は、随所でぽつりぽつりと披瀝される鋭角的な指摘と同様に、バタイユの残した膨大なテクストに新しい読みの可能性を開くものだ。

だが本書は、「バタイユ論」の看板を掲げる他の書物とは、少なくとも二つの点で一線を画している。第一に明記すべきは、本書がバタイユ「について」書くことを告発する逆説的なバタイユ論である点だ。バタイユは『ニーチェについて』と題した本を著したが、同書は「この題名から期待されることやこの形式で要求されていることに答えていない。」ニーチェ「について」書くことがニーチェを知の対象として囲い込み、哲学者本人でさえ終わらせることのできなかった思考の展開に見せかけの完結性と統一性を付与することだとすれば、バタイユはニーチェ「について」書くことを拒み、むしろ彼の始めた「賭け」を引き受け、彼「とともに」書くことを選んだ。オリエが本書で試みているのは、こうしたバタイユの選択を我が物にしつつ――ただその選択を絶対視することは回避しながら――、バタイユ「について」書くことであったといえる。著者にとって問題なのは、「バタイユとは何か」といった問いに体のよい(分かりやすい)解答を用意することではない。バタイユ「について」書きつつバタイユ流の脱線や飛躍を頻繁に繰り返すことで、未完了たらんとしたバタイユの思考に能う限り忠実な書物であろうとしているのである。

本書が他のバタイユ論から際立つ第二の理由は、それがヘーゲルの『美学』やバタイユの初期テクストの斬新な読みから出発して、卓越した隠喩論を展開している点にある。オリエは、西欧の思考が永きにわたり建築ないし構築の意志に貫かれていること、建築の隠喩に依拠しないような知の領域など存在しないという事実を暴き立てる。そこから出発すれば、例えば一九世紀の建築家(建築理論家)ヴィオレ=ル=デュクによる『フランス建築辞典』が、ソシュール以後の言語学者によって編み出された構造分析の手法を先取りしているように見える事実も、異なる観点から解釈し直されることになる。二者のあいだにある分析方法の相同性は、ヴィオレ=ル=デュクの先駆性を証し立てているというよりはむしろ、言語の科学が建築の隠喩なしには成立しえないということを露わにしているのである。オリエにとってバタイユは、このような建築の支配、建築の誘惑からおのれを解き放とうとした作家・思想家にほかならない。だからこそオリエは、主題と形式の二重のレベルで建築的なバタイユの若書きのテクスト(『ランスのノートル=ダム大聖堂』)からあえて出発し、それ以降の彼の作品全体がこのテクストを抹殺する方向に向かっていることを示そうとするのである。

先にも述べたとおり、本書は意図的に飛躍と脱線を繰り返すそれ自体反建築的な書物であり、ひとつの目的に向かって直線的に進むような構成をなしてはいない。読者はむしろ、ページのあちこちに仕掛けられた落とし穴にはまり、少し読み進めては前に戻るという行程を幾度となく強いられることだろう。だが、スピード感を覚える読書だけがスリリングな読書ではなかろう。建築の誘惑に抗おうとするオリエの「迷宮」にあえて迷い込んでみるならば、建築的な書物が約束するありきたりなそれとは別種のスリルを味わうことができるはずである。(岩野卓司・神田浩一・福島勲・丸山真幸・長井文・石川学・大西雄一郎訳)(
この記事の中でご紹介した本
ジョルジュ・バタイユの反建築 ――コンコルド広場占拠/水声社
ジョルジュ・バタイユの反建築 ――コンコルド広場占拠
著 者:ドゥニ・オリエ
出版社:水声社
以下のオンライン書店でご購入できます
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