カタストロフからの哲学 ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって 書評|渡名喜 庸哲(以文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月28日 / 新聞掲載日:2016年1月22日(第3124号)

終末論的ニヒリズムを越えて 
現実を冷静に受け止めようとする意思を明確に表明した著作

カタストロフからの哲学 ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって
編集者:渡名喜 庸哲、森元 庸介
出版社:以文社
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「カタストロフ」という予測不能で不可避的な災厄を指す語が世界中で流通するようになったのは、チェルノブイリや9・11から3・11とフクシマや最近の無差別テロまで、突発的で破滅的な事故や事件が日常化した現実を反映しているからだろうが、本書を一読して思い出したのはもう十数年前の二〇〇三年冬、パリのメトロの車内でまったく未知の女性から突然「あなたはアポカリプスを信じますか?」と真顔で尋ねられたという、ごく私的な出来事だった。あまりにも唐突なので驚いたが、一瞬間をおいて「世界の終わりのことかな」と問い返せたのは、ヴィリリオの企画による大事故や大災害の記録とそれらをモチーフにした現代アートの「美術展」《Cequiarrive》を見た直後だったせいかもしれない。そんなカタストロフの時代を予告するかのように、ボードリヤールが「世界は錯乱的な状況にむかっているのだから、われわれも錯乱的なものの見かたにむかわなくてはならない」(『透きとおった悪』)と書いたのは、もう四半世紀も前のことだった。

本書『カタストロフからの哲学』は、そうした終末論的ニヒリズム(主観的には惹かれる発想だが)を越えて、現実を冷静に受けとめようとする意思を明確に表明した著作である。そこでは、副題が示すとおり、フランスの現代思想家デュピュイ(1941―)の思想圏が日本の研究者によって「カタストロフ論的転換」(渡名喜)、「科学哲学と破局論」(中村大介)、「救済の反エコノミー」(森元)の三部構成で論じられ、序章としてデュピュイの仕事を『聖なるものの刻印』を軸に概観し、その「知の生態学的思考」の独自性を強調した「〈破局〉に向き合う」(西谷修)が付されている。序章を除く論考は二〇一四年末慶應義塾大学で開催されたシンポジウムでの発表に基づくテクストであり、「社会思想と科学思想、キリスト教という観点からデュピュイの思想を問う構成」(編者)になっているから、評者が正面から接近できるのは社会思想に限られることを最初にお断りしたうえで、全容をごく手みじかに紹介しておこう。

第一部で、渡名喜は3・11の大震災以降デュピュイの著作(『ツナミの小形而上学』等)が日本で注目され著者が数度来日したことにふれてから、それ以前の『ありえないことが現実になるとき 賢明な破局論にむけて』などで、「認識論的」不確実性に限定されるリスク論を超えて「存在論的」不確実性に踏みこむカタストロフ論がすでに提案されていた経緯を(「破局」と訳されることの多い「カタストロフ」の多義性を確認しつつ)要約する。その上で、(起源から終末へとむかうリニアな)「歴史の時間」にこだわる「運命論的カタストロフ論」ではなく、(時間軸上の未来という出発点から現在に遡行することで、カタストロフを前提とする新たな予見としての未来が組み込まれたループ状の)「投企的時間」を主軸とする「賢明なカタストロフ論」へのデュピュイの転回を論じ、さらに彼の思想的提案が《なんらかの解決策を提示するよりは「アポカリプス」を告げ知らせると同時にそれを封印する徴がなんであるかを、全力でもって描き出そうとする試み》であることを強調している。この「徴」こそが「未来の痕跡」なのだが、このような未来観は西谷が序章で述べた「大地は七代先の子孫からの預かりもの」というアメリカ先住民の伝承に通じるものであり、ポストモダンと「歴史の終わり」論議に改めて終止符を打ち、西欧型「近代性」の限界を告知する思想的試みでもあるだろう。

第二部で、中村はデュピュイの思想形成の根底にイリッチ(文明批評)、フォン・フェルスター(システム論)、ジラール(人類学)という〈三つ組み〉を読み取った上で、システム論を中心にデュピュイの破局論をやはり『ありえないこと……』を中心に論じて、デュピュイが過去ではなくて未来が固定されているという発想から、「固定されるべき未来」を探究することにこそ「私たちの自由がある」と考えていたとして、システム論と破局論の関係を詳細に考察している。最後の第三部で、森本は破局論が救済論を含むという視点から、デュピュイの著作を『経済の未来』と『聖なるものの刻印』を中心に読み直し、彼の破局論が合理主義的経済至上主義を前提とする「予防原則の理論」を批判の対象としていたことを指摘してから、ドレフュス冤罪事件をめぐるデュルケムの議論やスタイロンの小説『ソフィーの選択』(アウシュヴィッツで息子と娘から一人を選べばその子を助けるという過酷な選択を強制された母親の物語で映画化された)などにふれて、「デュピュイ自身のキリスト教とは、個人主義という理念のもとに個人を消去することへの否であるとともに、救済すべき者についての基準を[…]事前に定めることへの否である」と述べている。

いずれも意味深い論考であり、それら自体が日本発の「賢明な破局論」として「生を肯定する思想」と「未来を留保する自己限定の知恵」(西谷)につながる真摯な企てとなっているといっておこう。

昨年秋来日したフランスの著名な歴史家ミシェル・ヴィノックは、現代フランス思想にふれて、サルトルやフーコーのような大思想家やベルナール=アンリ・レヴィらメディア知識人とは異質な「前例のないほど高度の情報と技術による表現形態を活用する専門家」(早稲田講演での発言)としての知識人の時代が始まっていると語ったが、デュピュイはすでに古希を越えたとはいえ、その先頭に立つ一人として今後も注目されるだろう。

最後に思い至るのは、二〇一五年一月パリのシャルリー・エブド襲撃から一一月のバタクラン劇場大虐殺へ、そしてその報復としての空爆による大量殺戮へと続いて地球規模で進行中の「世界内戦」(笠井潔『8・15と3・11―戦後史の死角』中の言葉)的状況を、はたして「ありえないことが現実になった」カタストロフと呼べるだろうかという疑問なのだが、現状では答えようのない問いという他はなさそうだ。
この記事の中でご紹介した本
カタストロフからの哲学  ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって /以文社
カタストロフからの哲学 ジャン=ピエール・デュピュイをめぐって
編集者:渡名喜 庸哲、森元 庸介
出版社:以文社
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