近代小説という問い 書評|富塚 昌輝(翰林書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月28日 / 新聞掲載日:2016年1月22日(第3124号)

近代小説という問い 書評
綿密な文献操作と巧みな分析による秀抜な研究書

近代小説という問い
著 者:富塚 昌輝
出版社:翰林書房
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何かが新しく始まる瞬間ほど、それが何であれ、スリリングなものはない。日本近代文学成立期の研究は、近代小説の起源に関し、これまでにも心躍るような知見を私たちに与えてきたが、そこにまた新たな一頁が開かれようとしている。本書は、近代小説の草創期において、小説・批評が、学問・教養とのいかなる協調と葛藤の間に立ち現れたか、その実態を、綿密な文献操作と巧みな分析によって掘り起こし、再現して見せた秀抜な研究書である。

「序論 〈近代小説〉の成立――学問との関係を視座として――」に続き、「第一部 小説と学問との交渉」及び「第二部 制度に挑戦する小説」の二部構成に四章ずつ八編の論文を輯め、本書は次のような三つの柱の上に成り立っている。

第一に、特に坪内逍遙を中心として、近代小説草創の立役者たちが、小説を学問との関係においてどのように位置づけようとしたかの追跡であり、これが本書の中核を成す。啓蒙思想の一環として導入された西洋流の小説を日本に根づかせるために、逍遙は『小説神髄』において進化論・心理学などの学問的言説を援用したが、他方では小説が描写によって独自に人物や社会を表現することも追い求めた。このような学問との接続・離反の二様相から、逍遙の『当世書生気質』などの小説や石橋忍月の批評、森鴎外による『しがらみ草紙』の発刊などの事業が見直しを図られる。これは、小説や批評といったジャンルの成立を、これまでとは異なった切り口で検証する意欲的な試みである。

第二に、代表的な学問、たとえば逍遙ならば心理学や人相学、鴎外ならば「審美的の眼」(美学)が、『当世書生気質』の人物群や、『しがらみ草紙』の批評、ひいては逍遙論争などにおいて、人物像や物語、あるいは批評言語として実際にどう昇華されたかが跡づけられる。これは具体的に小説作品に新たな分析と解釈を与え、批評作品に対しても評価のあり方を更新する性質のものだろう。二葉亭四迷の『浮雲』を、その題名と小説の構造との関わりから再考する論、また樋口一葉の「われから」を、『文学界』で行われていた神経病などの病の言説をコンテクストとして読み直し、そこに位置を占めつつも相対化するテクストとして定位した論もこれに含まれる。

そして第三には、文芸が、既存の制度や流行の文化現象と関係しつつも、いかにそれらを対象化し、それらに挑戦して自らの立脚点を確保して行ったかを、物質的な次元をも踏まえて解明している。既に活版印刷が主流となった時代に、尾崎紅葉の『此ぬし』が木版和装本の装幀で刊行されたことを、著者は思想を内包した表現としてとらえる。これは小説内部の物語における、書物を「見る」あり方と「読む」あり方との抗争とも節合され、『此ぬし』はメタ書物の小説と規定されるのである。同様の論法は、漱石の「カーライル博物館」を典拠となった文献との関連と距離から読み換え、博物館が様々な主体の間に生成する間主体的な空間であることを明らかにした、いわばメタ博物館の小説と見なす最終章にも示されている。今や古典となったこれらの作品が、実はいかに「新しい」かを、著者はまざまざと見せつけてくれるのだ。その筆致は実証的で執拗なだけでなく、意外なほど理論的でもある。

起源を問うことは常に現在をも問うことに繋がる。私は本書を通読して、その後から現代に至る多くの文芸作品をも、本書の観点から読み直す貴重な示唆を受けた。
この記事の中でご紹介した本
近代小説という問い/翰林書房
近代小説という問い
著 者:富塚 昌輝
出版社:翰林書房
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