零戦 7人のサムライ 書評|森 史朗(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月1日 / 新聞掲載日:2016年1月22日(第3124号)

零戦 7人のサムライ 書評
自他の死を深く見つめる生の物語 
各章が一冊のノンフィクションのように重い

零戦 7人のサムライ
著 者:森 史朗
出版社:文藝春秋
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零戦 7人のサムライ(森 史朗)文藝春秋
零戦 7人のサムライ
森 史朗
文藝春秋
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ドイツのメッサーシュミットBf109が三万三千機、イギリスのスピットファイアが二万三千機。太平洋方面でいうとアメリカのグラマンF6F「ヘルキャット」が一万二千機、ついで日本の零戦が一万四二五機……。第二次大戦で名を馳せた各国戦闘機の全生産機数である。

日米開戦以前から終戦までという現役期間の長さ。中国大陸・真珠湾・南太平洋という戦域の広さ。あるいは栄光から悲劇にいたる振幅の大きさ。それらの諸点から見ると、むしろ零戦こそ同時代の他機よりも一歩抜きん出ていたかもしれない。

すくなくとも日本人にとって零戦は、戦艦大和とならんで、決して単に戦闘機や軍艦の名前であるにとどまらない。いつもそれ以上の何かを喚起する。かつてわれわれが手にした大きなもの、誇り、高貴、悲惨、死といったすべてをひっくるめた民族の記憶。おそらくゼロセン(あるいはレイセン)、ヤマトという音の響きが、もはや日本人の脳の神経細胞でなく、もっと奧の体細胞で受け止められ、DNAに深く刻印されたのだろう。

本書では、無敵を誇ったデビュー当初の栄光から特攻隊の悲劇にいたるまでの、いってみれば大きく傾斜する零戦の軌跡の全幅が、描かれる。しかもそれは軍事史、技術史、外交史上のできごととして、対象的にというかストレートにではない。それぞれの時期に、それぞれの運命を激しく零戦の軌跡とクロスさせた七人のパイロットたちの、自他の死を深く見つめる生の物語としてである。

真珠湾への「発艦一番乗り」を果たし、後に技量抜群の操縦士を集めた紫電改「三四三空」部隊の飛行長時代、「わが隊からも特攻を出せ」という源田実司令に「もっとも誇りうる最後の特攻隊は一番機源田大佐、二番機が私、三番機は下士官随一の猛者坂井三郎。この三人で行きましょうや」と応じた志賀淑雄大尉(二章「真珠湾攻撃一番乗り」)。

坂井三郎と並んで多数機撃墜者として海軍当局から表彰された杉田庄一上飛曹(上等飛行兵曹)は二十年四月、誰もが無謀と見る空襲下の緊急発進でグラマンに射ち墜とされて戦死。じつは彼は二年前、山本五十六の乗機が南太平洋ブーゲンビル島上空で敵機に待ち伏せされ遭難した際、護衛を担当した零戦六機のパイロットの一人だった。「おれは生きてはいられない」。故郷の家族はそう語る彼の言葉を覚えている(五章「山本長官護衛機の悲劇」)。

ミッドウェー海戦で帰るに母艦なく、やむなく燃料切れ零戦を海上に着水させた岡元高志二飛曹は、昭和二十年初頭、疲れ切った体をフィリピン基地の宿舎で休ませていた。静かにドアが開く。奥に人がいるのも知らず幹部相手に語る司令の言葉に愕然とする。「君たちは大事な身体だから、戦闘行動には(下士官上がりの)特務士官を使え」。後日、岡元は拳銃を手渡し「抗命の罪と判断されるなら、どうか私を銃殺して下さい」と断った上で、苦楽を共にした上官に抗議した由(六章「ある艦隊搭乗員の落日」)。

最初の特攻隊である「敷島隊五人の出撃」とされる有名な写真がある。水杯を交わす若者の姿は厳粛というか哀切というか。じつは原版は敷島隊、大和隊合同出陣式を撮影したもので七人が映り、うち五人分を当局が機械的にトリミングし「敷島隊の五人」として発表したのだという(七章「一機一艦体当たり」)。

各章が、それぞれ一冊のノンフィクションのように重い。
この記事の中でご紹介した本
零戦 7人のサムライ/文藝春秋
零戦 7人のサムライ
著 者:森 史朗
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
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