土田知則×巽孝之トークイベント(東京堂書店)載録 ポール・ド・マン事件とは何だったのか!? 『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年6月22日 / 新聞掲載日:2018年6月22日(第3244号)

土田知則×巽孝之トークイベント(東京堂書店)載録
ポール・ド・マン事件とは何だったのか!?
『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社)刊行を機に

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第2回
「卑俗な」というレトリックを読む

巽 孝之氏
巽 
 問題とされたド・マンの「現代文学におけるユダヤ人」とは一体どういった記事だったのか、ということについて話を進めていきましょう。ちなみに本書の表紙にはこの記事の原文がデザインされていますし、本書中には土田さん訳のテクストも載っています。

この記事を一見すると、そもそも親ナチ系の新聞に掲載されたという事実だけをもって、もともと反ド・マン派だった人々が脱構築批評そのものを撲滅する絶好の口実にし安かったことは、一目瞭然です。しかし、新聞自体の性格はさておき、そこに寄稿されたド・マンの記事自体を緻密に読むと、土田さんのおっしゃる通り、果たして本当にナチス・ドイツに加担するような論旨なのか、あるいは本当にユダヤ人差別と取られる主張を孕んでいたのかが、いささか危うくなってくるのです。 

まずは、その具体的な根拠について、明かしていただけますか? 
土田 
 「ポール・ド・マン事件」の引き金になった「現代文学におけるユダヤ人」という題の記事はド・マンの母国、ベルギーの最大手日刊紙『ル・ソワール』の一九四一年三月四日付号に掲載されたものです。

当時のベルギーはナチス・ドイツの完全な支配下におかれ、新聞、定期刊行物、書物の出版には厳しい統制がかけられていました。

ド・マンの記事はこの日の『ル・ソワール』紙文化欄の「ユダヤ人とわれわれ(LES JUIFS ET NOUS)」と銘打たれた特集のために書かれたもので、他にも三名の執筆者による芸術論のコラムが掲載されています。
巽 
 この特集は反ユダヤ主義を奨励する内容なので、もともと脱構築批評が目障りだった陣営、つまり「理論への抵抗」を標榜する勢力からすればこの特集のコンテクストこそが鬼の首を取る最大のチャンスだった。
土田 
 まさにこの特集に掲載されたド・マン以外の三つの記事はどれもゴリゴリの反ユダヤ主義を打ち出した内容で、写真や挿絵も添えられた華々しい取り上げられ方をしているんですね。一方、ド・マンの記事は紙面右下に追いやられ、味気ない取り扱いをされていますが。

さて、こういった紙面状況の中で自分の論評を載せる際、反ユダヤ主義を正面から否定する文章は書けるでしょうか? 普通に考えれば無理ですよね。なおかつ、この記事を書いた当時のド・マンは二十一歳の若者で、子どもが生まれたばかりでした。彼には学業を断念してジャーナリストとしての仕事に専念し家族を養っていく必要に迫られていた、という身の上の事情もあったんです。そんな青年が反ユダヤ主義者のお歴々に囲まれた紙面の中でテーマに反目する文章を書いた日には間違いなく干されるでしょう。あるいは暴力を振るわれるかもしれない。
巽 
 ヒットラーの支配もますます苛烈を極めたご時勢ですから、最悪、殺されていたかもしれません。
土田 
 自身の執筆活動を抑圧されるような事態はなんとしても避けなければならなかった。

そこでド・マンは記事自体の政治的な意味合いを曖昧にするために、書き出しに「卑俗な」という形容詞を使って、「卑俗な反ユダヤ主義は、ユダヤ化されているという理由から、戦後(一九一四年から一九一八年にわたる戦争後)の文化現象を堕落頽廃したものとみなすことに欣々としている」と記しました。

この「卑俗な」というレトリックこそが当局の目をくらますと同時に、否定的なニュアンスにも読ませることを可能にしたわけです。
巽 
 「卑俗な」という形容詞は「vulgar」という語の土田訳で、他にも「下品、卑劣、鼻持ちならない、どうしようもない」といった悪い意味で使われることがしばしばある単語です。

この「卑俗な反ユダヤ主義(vulgar antisemitism)」から始まる一文について、デリダもまた二通りの解釈の可能性に言及しています。一つは「卑俗な反ユダヤ主義と卑俗ではない純正な反ユダヤ主義、すなわち、道義上いささかの問題もない反ユダヤ主義が存在する」という読み方と、もう一つは「反ユダヤ主義そのものが「卑俗」である」の二つの解釈です。実際のところ、ド・マンはこの記事を通じて「卑俗ではない反ユダヤ主義」のことは論じていません。だから後者の解釈で受け取るのがごく自然な読みでしょうね。
土田 
 デリダはド・マンが「卑俗な(vulgar)」というレトリックを使うことによって「非協調的な密輸業者(nonconformist smuggler)の役割を演じている」と述べています。つまり調和的な態度に見せかけた非協力的な行いだというわけです。

さらに申し上げれば、ヒリス・ミラーはこの記事によってド・マンは同一紙面内の三つの記事に批判を加えているとも読んでいます。
巽 
 デリダが使っている「非協調的」(nonconforming)という形容詞は、一七世紀初頭、英国国教会から離脱してイギリスからアメリカを目指した分離派ピューリタンを連想させます。しかし、この時のド・マンはナチ支配下の国家にいながら、まさにその内部において分離派的身振りを見せた。反ユダヤ主義の言説空間の真っ只中に身を投じながらも、まさにその内部より反ユダヤ主義の論理に抵抗する言説を編み出して、対象そのものを脱構築してしまった。それが大手メディアから発信されたにもかかわらず、当局は全く気づかなかったという事実がなんとも皮肉ですよね。 

また、当時ド・マンはジャーナリストとして健筆をふるうと同時に、出版社を経営し単行本を編集刊行する顔も持っていたので、編集者ド・マンの視点に立つとまた違った見方ができるのではないでしょうか。編集をなりわいとする者はえてして新聞や雑誌上でテーマ設定をした特集を組む際に、全ての記事が特集トピックに肯定的立場に立つことを良しとせず、中に批判的な意見も取り入れることによりバランスを保とうとするものです。もしかするとド・マンはこの特集における批判者の役を率先して買って出て、記事を書き上げたのではないか、とも解釈できる。

そのようなド・マンの姿勢は、彼の晩年のスタイルと呼ぶべき、最も有名な論文「理論への抵抗」でも明らかです。彼は 北米最大の文学研究組織MLA(近現代語学文学協会)が編む研究入門書の文学理論の章を執筆するよう依頼されながら、理論にはそれを内部から脱構築する抵抗力が備わっているという自説を綴ったがために、ボツになるんですね。しかし、まさにそのメタ理論こそが今日の理論的聖典とされているのですから、これこそ晩年のスタイルが発揮した先見の明というほかない。
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この記事の中でご紹介した本
ポール・ド・マンの戦争/彩流社
ポール・ド・マンの戦争
著 者:土田 知則
出版社:彩流社
「ポール・ド・マンの戦争」は以下からご購入できます
盗まれた廃墟  ポール・ド・マンのアメリカ/彩流社
盗まれた廃墟 ポール・ド・マンのアメリカ
著 者:巽 孝之
出版社:彩流社
「盗まれた廃墟 ポール・ド・マンのアメリカ」は以下からご購入できます
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