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更新日:2018年6月26日 / 新聞掲載日:2018年6月22日(第3244号)

運転手の過失で車両覆負傷者26名

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八月五日午後一時三十分上野発中野行の電車を運転手花上仙次郎が操縦し、新宿構内第三信号所に差しかかった際、飯田町発甲府行の貨物列車と同一軌道を押進み、衝突の惨事を見んとする際双方の運転手は急停車を試みたが同所は脱線線路になっていたので電車は忽ち脱線した。(『歴史写真』大正十三年九月)
電車の事故が起きたのは、新宿駅構内。一世紀を経て巨大なターミナルになった新宿駅とはあまりにかけ離れた構内の風景だが、事故の背景には膨張する鉄道輸送の実態があった。

大正十三(一九二四)年八月五日、脱線転覆したのは、午後一時三十分に省線(現在のJR)上野発中野行の電車だ。この七月から山手線経由で中央線に乗り入れている新しいルートである。

事故は、中野行の省線電車と飯田町(現在の飯田橋)発甲府行の貨物列車が衝突したもので、原因は省線電車の運転手が危険信号を無視して信号所を通過したことだった。乗客二十六人が負傷した。

事故のおよそ一年前、大正十二年九月一日に東京を襲った関東大震災では、鉄道にも大きな被害をもたらした。

山手線は比較的被害が少なく、地震直後から運転している。新宿駅は火災も起きずに無事だった。

この事故写真で横倒しになっている電車は下り「三三四号」、震災時の被害が詳細に記録されている『国鉄電車発達史』(弓削進著)でも、被災したかどうか不明だ。震災をくぐりぬけた車両のはずだが、こうして大破してしまったので、その後の「運命」はどうなったか、気になるところである。

関東大震災を挟んで、鉄道事故が多発していた。

東京鉄道局従業員四万四千八百六人のうち、大正十年から十二年までで平均一万一千二百四十七人が怪我をしていた(『東京日日新聞』大正十三年十一月二十九日付け)。

この事故写真は『歴史写真』九月号に掲載されたが、記事のなかでも「鉄道当局はまたしても世情攻撃の的となった」とあって、鉄道省への風当たりはきびしかった。

関東大震災で被災して郊外に移り住む人が増えたことや、サラリーマンになって電車通勤をする「都市型人種」が増えて変わりつつある時代を反映し、電車は混雑するいっぽうになっていた。
「ラッシュアワー」という言葉は、大正の中ごろから登場したが、中央線と山手線の混雑がとくに激しかった。

混雑する省線車内で禁煙を求める張り紙があったが、効果がうすく、東京鉄道局では「喫煙は絶対お断り」と掲示することにしたという(『国民新聞』同年九月十一日付け)。守られたかどうか。しかし、この時代に禁煙対策がとられていたことは、特記しておきたい。

ラッシュアワーの事故に対しては、「乗客の迷惑一通りではなかった」(『東京日日新聞』同年十一月二十二日付け)と指弾されてもいる。

この事故の原因は運転手の不注意としかいえないが、電車の本数が増えたり、路線が複雑化するなかで慣れない運転状況が真の原因だったかもしれない。

新宿駅は、少し前から昭和にかけて、郊外を走る京王電気軌道(京王電鉄の前身)、帝国電灯西武軌道線(後の都電杉並線)、小田原急行鉄道(小田急電鉄の前身)など私鉄各線が「乗り入れ」をはじめ、現在の原型ができていった。

この年、新宿駅の乗降客は十四、五万人にのぼり、十二月には新しいプラットフォームもできるが、混雑は緩和されることはなく、戦後の高度成長期には乗客を無理やり押し込む「押し屋」駅員が配置されるまでにいたる。
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