つかこうへい正伝 1968―1982 書評|長谷川 康夫(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月5日 / 新聞掲載日:2016年2月5日(第3126号)

「つか以前・以後」の時代の空気 
“つかこうへい”というキャラクターが時代の英雄に

つかこうへい正伝 1968―1982
出版社:新潮社
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日本の現代演劇を語るさいに「つか以前・以後」という言葉が使われることがある。戦後の現代演劇は、戦前から知識人に支持された新劇の復活にはじまり、一九六〇年代には、新劇に対抗するかのようにアングラ演劇が現れる。つづく七〇年代に登場したつかこうへいは、口立てによる生き生きとした台詞回し、音楽と笑いに溢れたスピーディーで軽快な舞台、そして物語の底を流れるシニカルな視線で、従来の演劇青年だけでなく演劇に興味のない若者を劇場に呼び集めることに成功する。七〇年慶応大学三年の時に処女戯曲を発表した後、七四年に『熱海殺人事件』で岸田戯曲賞、八一年に紀伊國屋演劇賞、八二年に小説『蒲田行進曲』で直木賞、八三年に映画『蒲田行進曲』で日本アカデミー最優秀脚本賞を受賞するなど、その受賞歴からも急速な人気のほどがよく分かる。つかこうへいの登場は、それ以後の小劇場ブームを牽引すると共に、経済的安定成長期の波にのって演劇をカウンターカルチャーからより柔軟なサブカルチャーへと転じてみせた一つの事件だった。

本書は、慶応の学生だった二〇歳の金原峰雄が劇作家“つかこうへい”となり、演劇界の「教祖」と呼ばれるまでに成長し、人気の頂点だった三四歳で劇団を解散させるまでの一五年間を扱った評伝である。著者は長年つかの下で俳優と原稿アシスタントをつとめた人物。本書では関係者へのインタビューや自身の体験を交えつつ、つかの実像にせまっているのだが、これが実に面白い。

『蒲田行進曲』のヤスは著者がモデルらしく、もちろん銀ちゃんはつか自身なのだが、本書の第一の読み応えは、人間つかこうへいの規格外の言動にある。つかと俳優たちの関係は、まさに『蒲田行進曲』そのままで、「役者がウケてんじゃねぇ、俺がウケてんだ」が口癖のつかは稽古中だけでなく普段の生活でも俳優たちに罵声をあびせ、部屋に転がり込んで居候をきめ、アルバイトの給料を徴収したという。今度の主役はお前だと嬉しがらせておきながら、本番直前で役を降板させることも度々で、残酷で容赦ない。しかし経済的に余裕が出てからは、罵詈雑言は相変わらずだが、どんな時でも全てつかが払い、目下の者には決して金は使わせなかったという。一見迷惑な男だが、著者はこの「振幅の激しさ」こそが、つかこうへいという人間の魅力だったと記す。在日韓国人二世だったことから、近年では民族差別の視点からつか作品を論じる傾向が強いが、そのしたたかさをよく知る著者はこれに疑問を投げかける。確かに、根源的な人間関係の構図を安易に民族差別に還元して論じるのは、つか演劇の普遍性を矮小化するだけだろう。敢えて「正伝」を名乗る理由がここにある。

本書の第二の読み応えは、戯曲や他の演出家の再演では決して分からない、つか演劇の具体的様子が記されている点だ。激しく罵声を浴びせられながらも、俳優にとってつかの舞台は他の作家では味わえない充実感があったという。戯曲中心の近代演劇が否定した口立てという方法の現代演劇的意義が、つか作品を通じて適格に論じられている。そしてエッセイや小説までもが、長谷川らのアシストによって完成したという証言には驚かされるが、つかならこう書くだろう……と考えながら代筆するほどに“つかこうへい”というキャラクターが時代の英雄になっていたことは興味深い。

第三の読み応えは、演劇を主軸とした七〇年代論の面白さだ。慶応の学生だったつかは早稲田の学生劇団「暫」を活動の拠点としたが、所謂「早稲田演劇」が本書では七〇年代を巧みに映し出している。先の見立てに従えば、早稲田の学生劇団の中で戦後の新劇と同調したのは、俳優の加藤剛らが在籍した自由舞台だった。六〇年代になると、この自由舞台から鈴木忠志や別役実らが脱退して早稲田小劇場を興し、やがて鈴木は「アングラ四天王」の一人に数えられるようになる。つかの戯曲と演出は、別役と鈴木の影響が強い。そして七〇年代に入ると、三浦洋一や平田満らの劇団「暫」が、つか演劇の稽古場を求めて自由舞台のあった早稲田大学六号館の部室を乗っ取ってしまう。VAN99ホール、紀伊國屋ホール、西武劇場など商業劇場の新しい動きが見られるのもこの時代だ。若者の演劇は六〇年安保、七〇年安保とも近しい関係を持ったが、つか以前・以後を見ていると、八〇年安保が起きなかった時代の空気さえもが感じられるようだ。

最後に、本書の後半はつかこうへい伝と同時に長谷川康夫伝の色合いがある。同じ著者による、つか評伝・長谷川自伝の続きを読みたいと思った。
この記事の中でご紹介した本
つかこうへい正伝 1968―1982/新潮社
つかこうへい正伝 1968―1982
著 者:長谷川 康夫
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
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