2018年度日本文藝家協会懇親会 写真家・田沼武能氏講演|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年6月29日 / 新聞掲載日:2018年6月29日(第3245号)

2018年度日本文藝家協会懇親会 写真家・田沼武能氏講演

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田沼武能氏
二〇一八年度日本文藝家協会の懇親会が、五月十日、千代田区・アルカディア市ヶ谷で開催された。オープニングの記念講演には、写真家の道を歩んで半世紀以上となる、写真家・田沼武能氏が登壇。「私が駆け出しだった頃の話」の演題で、田沼氏の駆け出し時代と文豪たちの撮影秘話が語られた。

「私は写真学校を卒業した後、サン・ニュース・フォトスという会社に入った。ところが、就職難の時代で入って喜んでいたら、入ったときには『週刊サンニュース』は休刊してしまって、私はニュース写真の暗室にぶち込まれた。会社に行って弁当を持って暗室に入ると夕方まで出てこられない。夕方出てくると今日の天気を人に聞かなくてはならないほどの生活が半年くらい続いた」

当時、主幹の名取洋之助氏は『岩波写真文庫』に移っていたが、木村伊兵衛氏は会社に残っていた。何とかして写真を撮る方にまわりたいと思っていた田沼氏は、木村伊兵衛氏の押しかけ助手を務めるようになる。ところが当時の助手というのは無給で、困った田沼氏がそのことを木村伊兵衛氏に言うと、逆にこんなことを言われたという。

「木村さんは僕に、「お前はここへ来て仕事を勉強してるんだから、会社に月謝払え」と言われた(笑)。そうは言ったものの食えなくちゃ困るだろうというので、たまたまその頃創刊された『芸術新潮』の仕事を紹介され、そのおかげでたくさんの作家、画家、いろんな方の写真を撮るようになった」

田沼氏は『芸術新潮』の仕事で京都の谷崎潤一郎氏を撮影したときのことを、

「東京から京都まで何時間もかけて行って、谷崎先生に撮影を許されたのはたった五分間。二階に上がらせてもらって待っていたら、先生は着物を着て上がってきて、洋間の机に座って原稿を書くような感じの写真を撮れと言われた。でも私のイメージとしては着物を着ているのだから日本間で撮らせてもらいたい、それを恐る恐る先生に伝えると、何にも言わないで立ち上がって日本間の机に座り脇息に寄りかかった。なにせ口を真一文字に結んで、何を言っても返事をしないんです」

『芸術新潮』の仕事では、ノーベル賞作家の川端康成氏や室生犀星氏、川崎長太郎氏、井伏鱒二氏、五味康祐氏など数多くの文豪を撮影したが、正宗白鳥氏だけは唯一撮らせてもらえなかったという。

「正宗白鳥さんをなんとかして撮ろうと、歌舞伎座へいつ来るという情報を聞いて待っていた。ところが、その頃はフィルムの感度も良くないしレンズも明るくなかったので、劇場の中に入られると撮れない。一度、正宗さんが劇場から出てきたときに撮ろうとしたら、ぱっと逃げちゃった」

その後もなんとか撮ろうとアパートを訪れたときには、「いませんよ、と本人が居留守を使う。「先生じゃないですか?」「違います」「先生はいつ帰ってきますか?」「わかりません」と。本人が返事してるんですから(笑)」

田沼氏は、駆け出し時代の貴重なエピソードの数々を笑い話を交えて次々と披露し、賑やかな懇親会の幕開けとなった。
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