ミューズたち 書評|ジャン=リュック・ナンシー(月曜社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月30日 / 新聞掲載日:2018年6月29日(第3245号)

新たなナンシー像を伝える
「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性 
複数の読者に開かれた書

ミューズたち
著 者:ジャン=リュック・ナンシー
出版社:月曜社
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本書は、現代フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーが主に一九九〇年に書いた芸術に関する論考を収めた論集である。『ミューズたち』と題された本書は、ギリシア神話の音楽や文芸を司る女神ムーサの複数形・・・を表題に掲げている。芸術を考えるためには複数形を用いなければならないこと、これはナンシーにとっては決定的に重要だ。「なぜ、ただ一つではなく、いくつもの芸術があるのだろうか」と題された冒頭の論考は、本書全体にとって基調低音をなしているが、これはきわめて根本的かつ挑戦的な問いだ。「なぜ、無があるのではなく、存在者があるのか」――ライプニッツのこの問いを、ハイデガーは存在の「根拠」をめぐる根本の問いとみなした。それに対し、ナンシーは「なぜ、ただ一つではなく、いくつもの芸術があるのだろうか」と言う。単に複数の種類の芸術があることの承認にはとどまらず、芸術の存在根拠についての問いはそもそも複数形でしか立てられないと言いたいかのようなのだ。

この「芸術の根拠」への問いには、もう一つの射程があるだろう。これを通じて、「芸術の終焉」論に対するナンシーなりの応答が呈示されているのである。ここで、二〇世紀の前衛芸術が繰り返し試みてきた近代的芸術観の解体と刷新が念頭に置かれているのはまちがいない。ただし、直接の参照先はヘーゲルの「芸術の終焉」論である(本書がいわゆる「歴史の終焉」論とほぼ時期を同じくしていることも指摘しておこう)。第二章「ミューズたちを継ぐ少女」は、このヘーゲルの芸術論の仔細な読解となっている。ヘーゲルは、古代ギリシアでは、宗教と芸術が一致し、精神的内容と感性的形態が一致していたのに対し、一九世紀のロマン主義においては、こうした結びつきが解体すると述べた。精神を表すためには、感性的直観に拘束された芸術では狭すぎるというわけだ。ナンシーは、こうしたヘーゲルの議論を脱構築的に読み解くことにより、「ミューズたちを継ぐ少女」という形象に、弁証法的には止揚されずにとどまる「芸術」の――複数的――存在理由を見てとろうとするのである。第五章「芸術の残骸」においても、かくも「終焉」が宣告される「芸術」に「何が残っているのか」という観点から、「残骸」論が展開されている。この意味で、本書の眼目は、いわば「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性についての省察にあるということができる。

ただし、いっそう興味深いのは、この問題を考えるために、ナンシーが、みずからの哲学的な道具立てのすべてを動員して考察を展開していることだ。事柄の所以を尋ねるために語源(ラテン語のアルス、ギリシア語のテクネーおよびポイエーシス)へと遡ることで、「芸術」への問いは、一方で「ポエジー」の問題に、他方で「技術テクニック」の問題にも行きつく。さらに、カント、シェリング、ヘーゲルを通じて提起される「芸術」と「感性」の問いは、とりわけ肉体的な感覚に光が当てられることで、美的=感性的エステティックなものへと、さらには官能的エロティックなものへと開かれる。そればかりでない。作品を世界へと呈示すること、作品によって呈示/再現=表象されることをめぐる考察においては、現象学的な美学論の限界を指摘することも辞さない。あるいはナンシーのキーワードの一つである「無為デズーヴルマン」も登場するが、これは「脱作品化、作品の解体」と訳しても間違いではないだろう。このように、これまでの「芸術」についての基本的な構えに対し多様な角度から揺さぶりをかけてゆくわけだが、その多層的な考察を貫いているのは、ナンシー哲学の最も根幹的な考えである「感覚=意味サンス」の複数性(あるいは複数的単独性)にほかならない。この意味で、本書は「芸術の終焉」についてのナンシーの論として読めるばかりか、「芸術の終焉」を緒にしたナンシー哲学への導入としても読めるだろう。

そのほか、カラヴァッジョ論、洞窟壁画論、贈与と現前の二つの意味を兼ね備えたプレザンス概念についての考察など、興味深い論考が収められている。とくに洞窟壁画については、いみじくも九〇年代にフランスで発見された二つの洞窟壁画とナンシーを結びつけて論じる巻末の暮沢剛巳氏による日本語版解説が参考になる。

ナンシーの芸術論としては、すでに『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳、以文社、二〇〇六年)が読めるが、それに先立つ時期のナンシーの芸術観をまとまって示す本訳書の公刊により、哲学・神学・政治・科学・芸術と幅広い視座で考察を続けるナンシーの思想が、いっそう有機的に理解できることになった。『私に触れるな ノリ・メ・タンゲレ』(荻野厚志訳、未來社、二〇〇六年)に続き、新たなナンシー像を日本の読者に伝えてくれた訳者の功績を讃えたい。難解で知られる哲学者だけに、内容的には難しい箇所がないわけではないが、現代において「芸術」の「根拠」についての根本的な考察を試みる本書は、哲学や美学を専門とする読者ばかりでなく、「芸術」とはいかなるものかを考える複数の読者に開かれているだろう。(荻野厚志訳)
この記事の中でご紹介した本
ミューズたち/月曜社
ミューズたち
著 者:ジャン=リュック・ナンシー
出版社:月曜社
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