飛ぶ孔雀 書評|山尾 悠子(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月30日 / 新聞掲載日:2018年6月29日(第3245号)

飛ぶ孔雀 書評
独自の美意識によって貫かれ築かれた世界観の提示

飛ぶ孔雀
著 者:山尾 悠子
出版社:文藝春秋
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飛ぶ孔雀(山尾 悠子)文藝春秋
飛ぶ孔雀
山尾 悠子
文藝春秋
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山尾悠子著『飛ぶ孔雀』は、「Ⅰ 飛ぶ孔雀」「Ⅱ 不燃性について」の二部からなる連作長編小説。Ⅰ、Ⅱは、それぞれに長さの異なる八つの章と十六の章によって構成される。

全編を貫く明確なストーリーがあるとは言えない。少なくとも、そうした物語を書き表すことに主眼を置いた作品であるとは思われない。舞台は日本のようであるが時代については定かではなく、章ごとにも時間は前後したりと一様ではない。その要素を含め、言葉によってのみ表現が可能となる架空世界が描き出される。

Ⅰは、冒頭に置かれた「柳小橋界隈」のこの一行からはじまる。「シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった」。これに続く「だいふく寺、桜、千手かんのん」「火種屋」「岩牡蠣、低温調理」などの各章はどれも、登場人物や語られる内容から、おのおのが独立したものとも言えるが、いずれも火が燃え難くなったという状況や背景をもつ点において、ゆるやかにつながり合う。「シブレ山の近くにシビレ山というのがある」「石切り場の事故があっても電気はまだ生きている」「事故のとき、シブレ山が左右ふたつに増えて」などと記されるが、謎めいたその山の事故と、火が燃え難くなったことの因果関係は明示されない。ただ、そうした状況下で暮らす人たちのありようが、作者独特の筆法で綴られ、積み重ねられてゆく。川のほとりで妹たちの子守りをしながら家事をする少女トエや、むかし山で国土地理院の男と出会った記憶をもつK、未亡人となったかつての同級生Lの豪邸を訪れてめずらしい調理法の料理をふるまわれるPのエピソードや、川中島Q庭園での夏の大寄せにて、火を運ぶ役目を任された少女らと、それを襲う飛ぶ孔雀をめぐる奇妙な話など。いずれのパートも、夢のなかの出来事のような浮遊感や心もとなさがある一方、逃れがたく先の見えない悪夢にも通ずる生生しさや切迫感がある。曖昧で非現実的なありさまに、時にグロテスクなまでの現実性がのぞき、それらが微妙なバランスで入り交じる本作は、作者の内にとめどなく湧き上がり逬るイメージの表出であり、その独自の美意識によって貫かれ築かれた世界観の提示であると感じられる。

Ⅱは、Ⅰを踏まえ、その内容を幾らか引き継ぐかたちで新たな物語が展開される。「頭骨ラボ」「富籤」「修練ホテル」などと題された章が並び、劇団員QのほかKやGといった男たちや、女運転士ミツ、ダクト屋セツなど、数多くの登場人物らがつぎつぎに現れ交錯する。山頂と地下が不思議なかたちで通じているかのような場を主な舞台として、地下公営浴場やロープウェイ、シビレ山の大蛇など、特色あるさまざまなモチーフと人物・事象が複雑に絡み合う幻想的な光景が描かれる。数数の場面を浴びるようにして読み進めるうち、いつしか巨大な幾何学模様のなかに自らも迷い込み、出口を求めて手探りでさまようような感覚をおぼえる。読む者を誘い、惑わせる特異な文章を、一文一文注意深く辿り、ついに行き着いたラスト近くでは、作中における時空のめぐりが円環の様相を見せもするが、それも夢か現かという混沌のなかにある。これを、うごめく大蛇や蛇行する川、運行する路面電車の姿などとともにウロボロスのイメージと重ね合わせて見る自由もあるが、本作はそうした解釈や理屈や型にはおさまらない激しさ、エネルギーをもつ。ここに提示された世界のさまをどう受け取るか。本書を読むことでしか得られないものがある。
この記事の中でご紹介した本
飛ぶ孔雀/文藝春秋
飛ぶ孔雀
著 者:山尾 悠子
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
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