ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光 書評|亀山 郁夫(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年6月30日 / 新聞掲載日:2018年6月29日(第3245号)

先行する評伝を乗り越える 
様々な史料に基づいた緻密で客観的な解釈

ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光
著 者:亀山 郁夫
出版社:岩波書店
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本書は、ロシア文学研究の「大家」である亀山郁夫氏によるショスタコーヴィチの評伝である。著者本人も述べているように、既に多くのショスタコーヴィチの評伝をはじめ、ショスタコーヴィチの作品にかんする先行研究が存在している。そのような中で、ショスタコーヴィチの評伝をまとめることは大きな挑戦であるが、本書は、著者がその挑戦に果敢に挑んだことが全体からにじみ出ているものとなっている。

二十世紀ロシアの作曲家といえば、ストラヴィンスキーやプロコフィエフの名が挙げられる(評者も好きな作曲家である)。彼らが西側で活躍していくのに対して、ショスタコーヴィチはロシア革命という国家体制、その後誕生したスターリン体制に翻弄された、いわば「悲劇の作曲家」ともいえなくもない。しかし、ショスタコーヴィチは、「音楽ならざる荒唐無稽」と自らのオペラ作品をソ連共産党中央委員会の機関誌『プラウダ』で批判され、粛正される恐怖におびえながらも、体制に迎合しつつ自らの主張を楽曲の中に暗喩的に表現する「二枚舌による抵抗」をしながら創作活動を続けた。本書では、そんなショスタコーヴィチのある種の「職人技」としぶとさ、その裏にあるスターリン体制の強大さが、著者独特の観点から語られていてとても興味深い。また、評者も本書を通して初めて知ったことだが、ショスタコーヴィチが実はサッカーに熱狂しており、「ずば抜けた記憶力の持ち主」で「試合の内容を逐一記録し、親しい知人に報告していた」(一六〇頁)ことは、ショスタコーヴィチの意外な一面として興味深いものがある(彼が今生きていたら、二〇一八年のサッカーW杯をどれだけ心待ちにしていたことだろう)。

ところで、クラシック音楽にかんする研究や評論、特に作曲家や演奏家にかんする研究や評伝では、論者が対象としている作曲家や演奏家に対して興味があることは、当然のことであろう。ただ、その興味が、興味を超えて「愛」となることも少なくない。あるいは、「愛」があるから、研究や評伝の対象にしようとすることもあるだろう。ただ、研究対象への「愛」は、論じる際の障壁になる可能性もあり得るだろう。これは、ポピュラー音楽研究においても多いことだが、論じる側が研究対象のファンである場合、論じる対象に対する「愛」によって、研究対象に対する距離感が保てず、客観的な議論がされていない印象を受けることが少なくない。これはクラシック音楽においても同様であろう。むしろ、クラシック音楽のほうが論じる対象を崇高なものとして扱う傾向があり、客観性を見失うような論考が少なからずあるように思われる。

著者は、「あとがき」において、「過去二十年間、その根本の理由に辿りつけないまま、ほとんど絶え間なくショスタコーヴィチの音楽に親しみつづけてきた」(三八五頁)と、ショスタコーヴィチへの「愛」があることを告白しているが、そのときに「不思議な心のプロセス」があったという。普通のファンであれば、「愛」に対する違和感やそれをもとにして問いを立てることはしないだろう。しかし、著者は、その問いを徹底して客観的な観点から論じるべく、膨大なロシア語の文献を紐解いている。また、作曲家の研究では、楽曲のメロディやリズムなどのテクストに対して、作曲家が体験した出来事や社会的状況をもとに意味づけようとする、いわば間テクスト性をもとにした分析が少なくない。たしかに、楽曲というテクストは、「引用」も含め、少なからず他のテクストと相互に作用しあう関係にある。実際、ショスタコーヴィチも、他の楽曲からの「引用」を行うことで、自作の中に様々な意味を込めようとした。「引用」の場合、楽曲に込められた意図は誰が見ても明らかである。ただ、「引用」以外にかんする解釈の場合、分析の客観性や深さの面において分析者の力量が問われざるをえない。その点、本書の著者による解釈は、様々な史料に基づいた緻密で客観的なものであり(たとえば交響曲第五番の解釈)、これは、ロシア文学研究の「大家」だからこそなせる技だろう。この点においても、本書は、先行するショスタコーヴィチの評伝を十分に乗り越えたものと言ってよいだろう。

ショスタコーヴィチの重厚な評伝である本書を、ぜひともショスタコーヴィチの重厚な音楽とともに味わってもらいたいものである。
この記事の中でご紹介した本
ショスタコーヴィチ  引き裂かれた栄光/岩波書店
ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光
著 者:亀山 郁夫
出版社:岩波書店
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