構造と力 記号論を超えて 書評|浅田 彰(勁草書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2018年6月30日 / 新聞掲載日:2018年6月29日(第3245号)

『構造と力 記号論を超えて』 浅田 彰著
東京大学 嵐 大樹

構造と力 記号論を超えて
著 者:浅田 彰
出版社:勁草書房
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本書『構造と力』は、今からちょうど35年前の1983年に刊行されベストセラーになった思想書である。ここで誰しも1つの疑問を抱くだろう。“35年前にベストセラーになった”“思想書”が、2018年に生きる我々にとって読む価値があるのだろうか?

ところで、西洋に蔓延るあらゆる価値を批判したのはニーチェである。系譜学という手法のもとでそれら全てを転倒させ、そのことによってこそ新しい生を提示することができた。

一方本書はズレというパースペクティブのもと、主に20世紀後半のフランスで展開された思想をたどりなおす、言うなれば「ズレの系譜学」であろうか。完全なる調和としての自然に現れた人間は、その始源からしてすでに〈ズレ〉を抱えてしまっている。というのも人間とは過剰な意味(=方向)を含みこんでしまっているカオスであり、そうである以上自然への回帰などは原理的に不可能なのである。少し抽象的に聞こえるだろうか? しかしこの〈ズレ〉を、「違和感」という実存的な単語で読み替えてみればすぐに理解できるだろう。

この耐え難い〈ズレ〉に対し、一体どう生きればよいのだろうか? かつては王が、神が、この過剰に抱える意味を1つの意味でもって規定していた。もちろん1つに押さえつけるだけでは〈ズレ〉は解消されることはなく、それは定期的に行われる祝祭によってごまかされていた。これがいわゆる前近代である。

一方近代は資本主義の時代である。資本主義の戦略とは、〈ズレ〉を唯一の意味としての貨幣=資本へと流し続けること。本書の冒頭で強調される受験戦争、また我々にとっては就活戦争であろうか、とにかくこれである。資本主義とは1つの意味に向かって走り続けること。そしてこの〈続ける〉というダイナミックな構造ゆえに、我々にとって祝祭など必要ない。いわば毎日が祝祭なのである。

しかしよく考えてみよう。毎日が祝祭とは、原理的に不可能ではないか? 毎日が祝祭とは、すなわち毎日が日常なのではないか? 貨幣=資本という1つの意味へと〈ズレ〉続けていた我々は、その〈続ける〉という構造にごまかされているだけではないのか? 少しでも立ち止まってみると、たちまちその〈ズレ〉は水を得た魚のように躍りだすだろう。

では、どうすればよいのか。本書の答えは実際に手にとって確認していただくとして、ここでタイトルに戻ってみることにしよう。「構造」とは何か、「力」とは何か。

構造とは、1つの意味の規定である。その展開に関してはここまでの稚拙な要約からも少しは汲み取っていただけるだろう。そして力とは、構造を打ち破る力である。それは外側から与えられるようなものではなく、あくまで内側から踊りだす力である。そのような力は歴史という過去に埋没するようなものではなく、流れゆく現在を超えて潜在しているものなのである。

もちろんこの「軽妙な」“思想書”が“ベストセラーとなった35年前”にさえ力たりえたのかは定かではない。しかし本書が現代の我々にとって価値を持つとすれば、それは潜在するはずの力を引き出す試みにしかないのだろう。
この記事の中でご紹介した本
構造と力 記号論を超えて/勁草書房
構造と力 記号論を超えて
著 者:浅田 彰
出版社:勁草書房
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