薄情 書評|絲山秋子(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月8日 / 新聞掲載日:2016年2月12日(第3127号)

薄情 書評
風土を描くなかで誠実に差し出される「ひと」と「ひと」の関係性

薄情
著 者:絲山秋子
出版社:新潮社
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薄情(絲山秋子)新潮社
薄情
絲山秋子
新潮社
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重機がぽつんと置かれたあぜ道。広大な田畑に点在する屋敷。郊外型の大型店。まばらで淡いネオン。都会に住んでいるわけでもないのに失礼な話だが、新幹線に乗るといつも思う。「ここにも人の営みがある」と。

車窓の外を流れてゆく風景は、誰かの故郷であるどこかの地方だ。その感懐には特別な思い入れも蔑視もない。そこを「地元」と呼ぶ人たちがいて、都会より地縁的に濃いコミュニティがあるのだろうと想像するのである。

『薄情』の主人公、宇田川静生にとっては、実家のある群馬が「地元」である。「何もないわけではない」が、「なんでもない場所」と称されるところ。さらにその縁辺には、「住宅で埋め尽くされているわけではなく、農村にも属していない」という「境界の区域」があり、「ひとの意識の密度が感じられ」ないそこには、「凄惨さも生々しさ」も存在しない。

物語の冒頭で群馬県一帯は未曾有の大雪に見舞われるが、それすら、名前がつかない「あの大雪」として語られる。「震災」と言えば「東日本大震災」を指すようには、その災害は認知されないのだ。そしてそのことに、宇田川はかすかな違和感を抱き続ける。

元来、人と深く関わるのを避け、それこそ土地の言葉で「あーねー」という、賛成でも不賛成でも、聞いていてもいなくてもいいという態度で過ごしてきた宇田川。いずれ伯父の神社を継ぐ身であるが、「自分の内側になにかが足りない」と思っているルーティーンの暮らしは、東京から移住してきて木工の工房をひらいた鹿谷さんとの出会い、高校の後輩である蜂須賀との再会によって少しずつ変化する。

都会=外と地元=内の接点である「境界」に身を置く鹿谷さんは憧れの存在であり、工房には積極的なつながりを求められない快適さがある。自由に出入りし自由にふるまえる、ゆるいコミュニティを宇田川は気に入る。一方、名古屋からUターンして仕事を探すという蜂須賀とも、深い男女の関わりには踏み込まない。

それはおそらく絶対的な孤独とは違う。ほどよい距離感の他者によってもたらされる都合のよい孤独。地縁の濃さを疎いつつも、完全な「個」を貫けない宇田川にとって、鹿谷さんや蜂須賀との関係性は心地よいものでしかない。

だがついに、そのなまぬるい心地よさを覆す決定的な出来事が起こり、外から来た「よそ者」とそうでない地元の者が無慈悲に分かたれてしまったとき、宇田川の抱える「違和感」が静かに増幅する。

出て行ってしまえばすべて帳消しになる「よそ者」と、地元に残らなければならない者。周りは彼らをどう受け入れたらいいのか。「あの大雪」に名前がつかないように、簡単に打ち捨てられていいものなのか。

その時はじめて、「薄情」という態度の真意が明かされる。それは、「おかしなことをした、外の人間」に対する最低限の配慮であると同時に、いたたまれぬまま残った者への、精一杯の受容なのだと。

自分が住んでいる「狭いケージ」の内側しか信用していないのに、「ケージ」の外に憧れる気持ちが「醜く歪んだ」気持ちを生み出していた。他人を妬む「薄い毒」を自覚せず、自分自身すら認めようとしてこなかった。終盤、ヒッチハイクの少年によって易々と「外」へ連れ出された宇田川は、卑屈な自己との決別を決意する。

風土を描くなかで、誠実に差し出される、「ひと」と「ひと」との関係性。「よそ者」への妬みも、淡いつながりも、孤独を装うことも、薄情さも、災害に名前がつかないことも、すべて肯定すればいい。そこからはじめることで、「なんでもない場所」が「確かなもの」になる。それを書ききったところに、この小説の強度があるのだ。
この記事の中でご紹介した本
薄情/新潮社
薄情
著 者:絲山秋子
出版社:新潮社
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