証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち 書評|野村 喜和夫(白水社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月8日 / 新聞掲載日:2016年2月12日(第3127号)

証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち 書評
何よりも詩人だった石原 
六つの視点からその詩の仕組みを明瞭に分析

証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち
著 者:野村 喜和夫
出版社:白水社
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田舎のさびれた駅前商店街は、あたかも衰退した現代詩の世界のようだ。シャッターが閉まり、人影はまばらだ。一方、そこから車で数分も走ると、巨大駐車場を備えたショッピングモールが出現する。明るく広々とした店内は、老若男女でにぎわっている。まるで小説界や漫画界のようだ、と思う。

消費者のニーズを敏感に察知し、幅広い新商品を取りそろえた郊外モール。これに対し、「現代詩」という名の地方シャッター通りは、暗い屋根におおわれていて寒々しい。それでも古い商店街には、ごく稀にみごとな名店があって、そこだけはよく客が出入りしている。シベリア抑留の詩人石原吉郎を、陰惨なアーケード街の老舗にたとえることもできるだろう。

石原吉郎の読者は通常、言葉の中に苛酷な強制労働の「証言」を探り出そうとする。しかし、『証言と抒情』の著者野村喜和夫氏は、「何よりもまず石原は詩人」なのだと主張する。シベリア体験の「証言」だけではなく、芸術としての詩、すなわち「抒情」に目を向けなければならないというのである。本書が『証言と抒情』と題されているゆえんである。

このような立場から、野村喜和夫氏は、六つの視点で石原吉郎の作品を論じてゆく。すなわち、「存在」「言語」「パウル・ツェラン」「現代詩」「他者」「信仰」である。石原吉郎の詩は、難解でありながら極めて魅力的で、読者に訴える強い力を持っている。その仕組みを、著者は六つの主題それぞれの観点から、明瞭に分析してゆく。

『証言と抒情』には、新しい解釈の種も数多くちりばめられている。たとえば著者は、三好達治や立原道造との関係から、石原吉郎を遅れてきた四季派と見る視点を提示する。あるいは、神学者カール・バルトの著作が、詩の発想源である可能性が示唆される。学生運動に挫折した若者たちが、石原吉郎を熱心に読んだ理由も考察されている。なかでも興味深いのは、暗喩の問題や、詩とエッセイの関係を論じた部分だろう。

精神の限界が試されるシベリア抑留経験は、石原吉郎の頭を帰国後も混乱状態に陥れた。この整理しがたい体験は、存在の極限であり、失語状態に他ならない。そのような経験を散文で書くには、混線した認識や感情を整理し、論理の筋道を作る必要がある。当然その過程で、何かを切り捨てざるを得ない。

一方、隠喩を多く用いる現代詩は、石原吉郎にとって、「混乱を混乱のままで」表現できる言語形式であり、安易に整理して記述するまいとする「沈黙するための言葉」だった。そこに、石原吉郎の「抒情」の源がある。

後年、シベリア抑留に関する随筆を書き始めた時、石原吉郎から「詩」が消えて行った。整理のつかない感情を、未整理のままに表現できる現代詩。これに対し、エッセイの執筆は、強制労働体験と直接向き合う苦しい仕事となる。原稿を書く過程で、石原吉郎は記憶のよみがえりに悩まされたらしい。夜中に墓地に行き、墓石に頭をぶつけていたこともあるという。

それにしても、難解でありながら読者をひきつけてやまない詩人に、苛酷な体験をした人物が多いのはなぜなのか。伊東静雄しかり、三好豊一郎しかり。不思議なことに、精神の極限を試される厳しい経験は、難解な表現に韜晦しつつ語る方が、却って読者によく伝わるのである。

現代詩の難解性の問題を解く鍵が、ここにある。難解な名詩とはいったい何なのか。一人よがりで晦渋なだけの駄作とは、どう違うのか。石原吉郎の「抒情」を考えることは、現代詩そのものを問うことに他ならない。
この記事の中でご紹介した本
証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち/白水社
証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち
著 者:野村 喜和夫
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
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