谷崎潤一郎 没後五十年 書評|尾高 修也(作品社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月8日 / 新聞掲載日:2016年2月12日(第3127号)

谷崎潤一郎 没後五十年 書評
四〇年に渡って取り組んできた谷崎論の三部作の最終巻

谷崎潤一郎 没後五十年
著 者:尾高 修也
出版社:作品社
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本書は著者が四〇年に渡って取り組んできた谷崎論で、『青年期 谷崎潤一郎論』、『壮年期 谷崎潤一郎論』に続く、いわば三部作の最終巻にあたる。全四部に別れ、二三章から成る。さまざまなテーマについて論じられているので、ここでは終生谷崎について回った「思想性」、「女性」、「場所・空間の移動」の三点に絞る。

谷崎が大作家であるか否かに関して、思想性がないという否定的見解と、あるという肯定的見解がある。前者の否定的見方は佐藤春夫に端を発して、小林秀雄がこれを受けて、「批評精神の薄弱」、「智的共感性の欠如」を指摘する。総括してとどめを刺したのが中村光夫の「知的な意味では青春がなく」、「少年期から青年時代を経ずに、ぢかに大人になってしまったやうな奇形性」(『谷崎潤一郎論』(昭和二七年)が感じられるという批判だ。谷崎の西洋崇拝は、たとえばアメリカの映画雑誌を賑わせた女優の名をあげて『痴人の愛』のナオミを形容するというように、実に皮相的な捉え方で、その「滑稽さはほとんど崇高の域に達してゐる」とまで言い切る。評者は高校時代にこの評に接して以降、谷崎を読む気が失せた。批評家が芸術家を生かしも殺しもする一例であろう。

肯定論の代表は伊藤整だと著者はいう。伊藤は、第一の特色として「肉体的恐怖から生ずる神秘幽玄」を挙げて、初めて谷崎を認めた永井荷風の論を発展させる。伊藤は「神秘幽玄」を「芸術的な生命感」に置き換える。現代日本文学の主流は階級問題の意識があるか否かを作家に問うもので、これを思想文学と言っていい。「階級の物質条件下で倫理的である」ことは比較的容易だが、肉体という条件(つまり種族、性別、強弱、美醜、老若等)のもとで「倫理的であることがいかにして可能なのか、不可能なのか」が谷崎の本来の思想の問題とする。つまり谷崎にとっては肉体が思想なのだというのが伊藤の見解だ。肉体がすべてに先行するという実存的な見方だ。

著者は以上見た谷崎の「思想」の有無論から距離を置いて、問題を「青年期」という問題提起にずらして谷崎肯定論を展開する。下町の商人や職人の子供は弟子入りして、修行期間を過ぎると独り立ちして大人になる。つまり青年期はない。しかし明治になって、学校制度の開始とともに、学生という、象徴的に本郷という父権制社会である山の手を空間とする青年期を過ごすモラトリアム人間が誕生する。明治の多数の文学者が限られた短い青年期に力を出し切って、いわゆる「中年の中折れ時代」現象で、早めに筆を折らざるを得なかったのに反して、谷崎は異常とも思えるほど長く悶々とした青年期を送り、それが死ぬまで執筆活動を支える原動力になったという。

これに谷崎の文学上の主題である女性がからんでくる。谷崎の生誕の地は日本橋だ。江戸以来町人の住む下町では母性原理が支配している。この原理を代表する母親から乳離れして大人になるべく『痴人の愛』を書き、『蓼喰う虫』執筆終了の四二歳までが谷崎の青年期であり、青年期の作品は失敗作が多いという。

次に谷崎文学は「場所・空間の移動」の文学であり、日本文学の伝統である旅の文学だという。谷崎は執筆開始当初から文壇に距離を置いたが、大正一二年の関東大震災をきっかけに、東京・横浜という土地のみならず、そこでの人間関係も断ち切り、谷崎にとっての関西である神戸・大阪の新たな土地と人間との関係を、女性を介して真剣に取り組む。佐藤春夫への千代子夫人の譲渡や古川丁未子との結婚・離婚、続く松子夫人との結婚、夫人の二人の妹、特に京風の重子とさらに重子の義理の娘の渡辺千萬子との関係など、谷崎と女性の関係は終生続く。

関西時代に女性関係を文学的に熟成させた戦前期の傑作を次々に物する。「卍」、「吉野葛」、「盲目物語」、「武州公秘話」、「蘆刈」、「春琴抄」、「猫と庄造と二人のおんな」であり、一七年から二三年まで六年半もかけた「細雪」だ。関東人である谷崎は中国や朝鮮旅行で観た東洋を異文化圏の大阪に見出した。その成果がこれらの伝統回帰といわれる作品にあらわれているという。

戦災で阪神間の住まいを無くしたあと、京都に借家住まいをして京都との関係ができ、さらに「少将滋幹の母」、「夢の浮橋」等の京都小説を生み出す。そのうち京都と熱海を往復し始め、晩年は京都を去って熱海や湯河原に住んで、東京へも足を運ぶ。『瘋癲老人日記』の舞台は麻布狸穴で、その山の手暮らしは関東在住を続けた場合の谷崎の暮らしを想像させるものだという。

以上、著者は「青年期」と「場所・空間の移動」という見方により、従来の谷崎作品の評価に対して唱えた異議を充分に立証していると思われる。
この記事の中でご紹介した本
谷崎潤一郎 没後五十年 /作品社
谷崎潤一郎 没後五十年
著 者:尾高 修也
出版社:作品社
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