オーソン・ウェルズ 書評|アンドレ・バザン(インスクリプト)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月8日 / 新聞掲載日:2016年2月12日(第3127号)

格別の意義をもつ本書 
ウェルズ論に新たな生命を吹き込んだ訳業

オーソン・ウェルズ
著 者:アンドレ・バザン
出版社:インスクリプト
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映画、そして映像文化全般の激変期にあって、いまこそアンドレ・バザンを読み直し、「写真映像の存在論」に端を発するその一途なリアリズム論のゆくえを辿ることには新鮮な意味があるはずだ。そう考えて評者なども『映画とは何か』の新訳を企てたり、バザン論を上梓したりしたのだが、堀潤之氏によって訳出されたこの『オーソン・ウェルズ』は、また格別の意義をもつ一冊である。

何しろこれは、バザンのウェルズ論をこういう形で蘇らせた世界でも稀な例なのである。フランスやアメリカで読みつがれているのは、バザンの没後に彼の精神的息子というべきフランソワ・トリュフォーのイニシアティブにより出された『オーソン・ウェルズ』(1972年)である。しかし遺稿にもとづく同書においては、全体が評伝的スタイルに書き直されており、実は1950年、コクトーとの共著という形で出されていた最初の『オーソン・ウェルズ』のほうがはるかに、バザンの思考を明確に打ち出した論述になっていた。そう判断して堀氏は1950年版をここに完訳したのである。これまで72年版しか読んでいなかった評者はこのたび初めて50年版を読み、堀氏の判断の正しさに感服した。

しかも付録資料として、当時『市民ケーン』に対し強烈な否定論をぶつけて衝撃を与えたサルトルの評をはじめとして、主要な論者たちによる作品評が並べられ、どのような論争のただなかでバザンの論が登場してきたのかがよく理解できる構成となっている。とりわけ、バザンにとってもっとも信頼できる先輩批評家だったロジェ・レーナルトの文章が訳出されているのはきわめて貴重である。バザンはただ一人忽然と出現したのではなく、レーナルトに代表される戦前からの評論の系譜を受けつぐ存在だったことがうかがえるだろう。以上のテクスト群に、歴史的背景を明晰に詳述した訳者解説も付されている。バザンによるウェルズ論に、その同時代的アクチュアリティともども新たな生命を吹き込んだ決定的訳業といっていい。

『市民ケーン』および『偉大なるアンバーソン家の人々』という若きウェルズの傑作二本をつぶさに論じる中で、「画面の深さ」による映画言語の革新をまざまざと示しつつ、同時に「雪玉」のテーマをとおして作家の個人神話の根源へと下りていくバザンの、緻密で繊細な筆の運びに魅惑されずにはいられない(訳文も見事だ)。同時に強く印象づけられるのは、ウェルズの映画がバザンにとって、そのまま「自由」の啓示にほかならなかったという事実である。「私たちの自由を完全に麻痺させる」従来のモンタージュとはまったく異質な体験をウェルズ作品が可能にしたからこそ、バザンはこれほどまでに委細を尽し情熱を傾けて論じたのである。

ひるがえって、今日の映画をめぐる批評の、熱気に満ちあふれているとはいいにくい現状を思わずにはいられない。フィルムの消失と映像のバーチャル化、3Dの一般化など、テクノロジー上の刷新には事欠かないものの、そうした環境の変化は本書のようなパッションの横溢する批評に結びついてはいない。だからこそわれわれは、映画のもたらす新たな「自由」を夢見つつ、バザンを熟読しなければならないのだ。(堀潤之訳)
この記事の中でご紹介した本
オーソン・ウェルズ /インスクリプト
オーソン・ウェルズ
著 者:アンドレ・バザン
出版社:インスクリプト
以下のオンライン書店でご購入できます
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