バンディーニ家よ、春を待て 書評|ジョン・ファンテ(未知谷)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月9日 / 新聞掲載日:2016年2月19日(第3128号)

バンディーニ家よ、春を待て 書評
「貧困」をブラックユーモアで笑い飛ばす

バンディーニ家よ、春を待て
著 者:ジョン・ファンテ
出版社:未知谷
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「ポストモダン小説」の特徴は、さまざまなジャンル様式をごった煮的に取り入れて、ひとつの小説として成り立たせるところにある。この小説は、「ポストモダン」という名称が生まれる遥か昔に、いろいろなジャンルを縦横無尽に横断し、「ポストモダン小説」の先駆けをなしていると言えるかもしれない。青春小説、ピカレスク小説、家族小説、プロレタリアート小説、恋愛小説など、いろいろな隠し味の工夫がなされている。

実は刊行されたのが八十年ちかく前で、しかもデビュー作というのだから驚きである。いまなお、目の肥えたうるさい読者の鑑賞に耐え得るだけでなく、凡百の新刊小説よりずっとエッジが効いている。

デビュー作とはいえ、この作家以外には書けない独自の世界がきちんと刻印されている。それを一言で言えば――

プロテスタントのアメリカ社会におけるイタリア移民(カトリック家庭)の実態、経済的な底辺の暮らしである。言い換えれば、堤未果のいう「貧困大国アメリカ」の小説版(イタリア移民編)である。

視点人物としては、十四歳の少年アルトゥーロ、その父ズヴェーヴォ、その母マリアの三人が登場する。冬は雪に閉ざされるロッキー山脈は、コロラド州のロックリンという町に住むバンディーニ一家のメンバーである。

まず、少年アルトォーロの視点から語られる「貧困」から見ていこう。彼は、アメリカで生まれたイタリア系移民の二世である。イタリア人でなく、「アメリカ人でありたい」と感じている。第一に名前が気に入らない。聞いただけでイタリア系と分かるアルトゥーロ・バンディーニではなく、ジョン・ジョーンズみたいな、いかにもアメリカ人らしい名前だったらよかったのにと思っている。なぜなら、名前のせいで同級生たちから「イタ公(ワァップ)」とか、「ラテン野郎(デイゴ)」とか呼ばれて蔑まれるからだ。彼は三人兄弟の長男で、下に十二歳のアウグストと八歳のフェデリーコという弟がいる。三人とも女子修道院の経営するカトリックの学校に通っているが、バンディーニ家だけは授業料が滞りがちで、それだけでも他の生徒たちに負い目を感じざるを得ない。

アルトゥーロは古典的なアメリカ文学に見られる典型的なピカレスク・ヒーローである。ハック少年やホールデン少年のように学校が嫌いで、学校の勉強よりも社会経験からより多くを学ぶ。母の寝室から小銭を盗んで映画を見にいったり、母の結婚記念のネックレスを盗んで、ひそかに思いを寄せる女の子にクリスマスのプレゼントにしたり、その年代なりの悪さを発揮する。だが、敬虔なカトリック教徒である母の影響で、そうした罪を内面化して、結局、教会で懺悔するはめになる。この小説の中で描かれるアルトゥーロ少年のヒロイズムは、みずからの機転と行動力により、ほつれた両親の仲を繕い、家族の分裂を回避することである。

次に、母のマリアの視点から見ると、借金生活が彼女の精神に与えるダメージを抜きに一家の「貧困」を語ることはできない。幸いなことに食料品店は自宅の隣にあるが、「天文学的な数字」に跳ねあがったツケのせいで、マリアは「向こう見ずな霊感」が訪れないと、店まで歩いていけない。「疲れを知らぬ亡霊のように、その勘定は冬の日々を恐怖」で満たす。衣服にしても、マリアの着ているものには、アメリカの豊かさを窺わせるものは一切ない。たとえば、「レーヨンのストッキングは色褪せて、今では黄ばんだなめし革のような色をしていた」。おまけに、夫は外で浮気しているらしい。そんな境遇のなか、彼女は並外れた信仰心で魂の中に救いを見いだそうとして、子どもたちに料理つくることさえ忘れがちになる。

最後に、父ズヴェーヴォの視点から「貧困」を見ていこう。彼は日雇いのレンガ積み工で、イタリアの中部都市から移民してきた。マリアと結婚して十五年、ちゃんとした屋敷もあるがローンが滞り、実質的には銀行のものだ。靴には穴があき、段ボール箱の切れ端で埋めている。大のギャンブル好きで、生活費にまわすべき金も賭博で擦ってしまう。日々を堅実に暮らす気持ちはなく、瘋癲の気質がある。口癖は、「家に帰ることに、いったい何の意味がある?」だ。

小説の白眉は、ズヴェーヴォのようなアメリカ社会の底辺をうろつく「よそ者」が、社会の頂点に立つ富者と対決するところである。地元の不動産王とも言えるエッフィー・ヒルデガルド未亡人と、借金人生を送る風来坊のズヴェーヴォ。

そもそも「アメリカンドリーム」というのは、一言で言えば、貧困から大金持ちへの「富(カネ)」の蓄積を意味する。アメリカ社会の根底には、カネ持ちが幸福であるという信念がある。そうしたアメリカの常識を、この小説は覆す。

どん底の「貧困」をテーマにした小説でありながら、なぜ陰惨でもなく、センチメンタルでもなく、辛気臭くもないのか。それは作家がみずからの苦境を突き放して見ることができるからである。たとえば、そうした姿勢は作家が次々と繰り出す過激なブラックユーモアの中に見られ、社会的な「他者」であるバンディーニ家よりもさらに弱者の視点を導入することで、バンディーニ家の逆境さえも相対化してしまうのだ。

「庭にいる鶏たちは、マリアにのみ忠誠を誓っていた。マリアの手から餌をもらう鶏たちは、ズヴェーヴォを憎んでいた。土曜の夜にふらりと訪れ、柵のなかの誰かを絞めてゆくのはこの男であることを、鶏たちはちゃんと記憶していた」
(栗原俊秀訳)
この記事の中でご紹介した本
バンディーニ家よ、春を待て/未知谷
バンディーニ家よ、春を待て
著 者:ジョン・ファンテ
出版社:未知谷
「バンディーニ家よ、春を待て」は以下からご購入できます
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