ヘーゲル講義録研究 書評|オットー・ペゲラー(法政大学出版局)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月11日 / 新聞掲載日:2016年2月26日(第3129号)

研究の新たな出発点に 
学問の悪しき専門化を超えて

ヘーゲル講義録研究
著 者:オットー・ペゲラー
翻訳者:寄川 条路
出版社:法政大学出版局
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本書は、ドイツの学術誌『ヘーゲル研究』第二十六号(一九九一年)の特集に掲載された論文の全訳である。その企図は、校訂版『ヘーゲル全集』第二部(講義録所収、二〇〇八年より刊行中)の「十分な出版のための出発点」を得るために、第二部の編者たちが、それぞれ担当する講義ごとに、テキストの特徴や問題を「概観」することにある(宗教哲学を除く)。

ヘーゲルの“講義”は、『エンツィクロペディー』や『法の哲学』の“補遺”と同じく、かれによる草稿類や、聴講者の筆記による講義録に基づくもので、ヘーゲル自身の“著書”ではない。旧版は、時期や内容の異なる複数の講義録を強引に「つなぎ合わせ」た産物で、ときに辻褄合わせのための「改竄」も行なわれた。その結果、「意味がまるっきり変わっ」たり、議論が「間違った方向へ」進んだり、実際よりも「体系的な印象を」与えたり、といった問題が生じた。校訂版が必要になる所以だが、テキストの信頼性をめぐり、新たな問題が生じる。

講義録は「八十九点」が保存されている(その後に発見されたものもある)。それらは、講義中に書き留められた「口述筆記」と、講義後に仕上げられた「清書稿」に大別される(「混合形態」もある)。口述筆記には「特段の価値」があるとされるが、ヘーゲルの言葉を正しく書き留めたかどうかが問われる。清書稿には誤解がまぎれ込んだり、記憶の忘却が影響する。事実、作成者は「学生、講師、役人、法学者、詩人」、「貴族」「庶民」「外国人」など実に多様で、すべての講義録が「十分に推敲されているわけではないし、完全に残されているわけでもない」。

さらに、ヘーゲルの講義は「一語一語書き取れるようなやり方」では「なかった」。きちんと仕上がった原稿が用いられることも「ほとんどなかった」。イェーナ期の講義については証言があり、「彼は咳込んだり、咳払いしたり、どもったりして、二つの文もはっきりと発音することができなかった」(「とても改善された」との別証言もあるが)。彼は後年のベルリン期に、出回っている講義録について、「いっさい責任がもてません」と手紙に書いてもいる。他方、彼は信頼できる講義録に「手を加えて」、「それにもとづいて」講義もした。が、彼の筆跡の残る講義録は現存しない。

こうした事情から、校訂の苦労も容易に想像される。本書(原書)から全集第二部の刊行開始まで、十七年を要している。加えて「不安定な雇用政策がたえず編集作業に大きな負担をかけ」た。「人文科学の仕事のためには、長期の教育期間と経験の集積が必要」で、これに無理解な政府や組織のもとでは、文化は育たない。弱い立場の担い手は、使い捨てにされる。非人間的に。

テキストの信頼性に関しては、本書がまだ出発点にあるためか、執筆者のあいだでも見解が揺れているように映る。ある者は、「ヘーゲルが自分の弟子にノートをとることを課したテキストだけが、信頼できるヘーゲルのテキスト」で、それらは「この上なく重要な原典資料」だと言う。しかし、テキストの信頼性が担保されるのなら、弟子への指示の有無は関係ないし、講義録はヘーゲルの著書ではないから、二次資料にとどまる(一部にはニュアンスの問題もあるかもしれない。「原典資料」の原語は“Quelle”で、「出典」「典拠」とも訳せる)。彼が「私的」に講義を行ない、「実験的に語って」いたことを思えば、なおのことである。別の者が言うように、「講義の筆記録をヘーゲル自身によるテキストと安易に同一視し同等のものとして扱うことは的外れ」だが、「反対に講義録にいかなる信憑性も認めないというのもまちがっている」と考えるのが穏当ではないか。

近年のヘーゲル研究では、講義録自体の文献学的研究や、講義録を辿ってかれの思想展開を解明する発展史的研究が、ずっと盛んだった。それらの自己目的化と見紛うような、学問の悪しき専門化が、目立って進んだ感さえある。しかし、ヘーゲル研究が文献学や歴史学でなく、哲学であるかぎり、それらも二次作業にとどまる。総合的観点に立った、ヘーゲル講義録の研究を踏まえたヘーゲル哲学の研究が、今後はいっそう求められる。本書はその出発点としても、多くのことを教えてくれるはずである。
この記事の中でご紹介した本
ヘーゲル講義録研究/法政大学出版局
ヘーゲル講義録研究
著 者:オットー・ペゲラー
翻訳者:寄川 条路
出版社:法政大学出版局
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