つつましい英雄 書評|マリオ・バルガス=リョサ(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月12日 / 新聞掲載日:2016年2月26日(第3129号)

交差する二つの物語 
不正に立ち向かう市井の勇気ある人物を描く

つつましい英雄
著 者:マリオ・バルガス=リョサ
出版社:河出書房新社
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バルガス=リョサがノーベル文学賞受賞後に書いた最初の小説『つつましい英雄』は、ストーリー・テラーとしての作者の力量を改めて示した作品である。

孤立無援で不正に立ち向かう市井の勇気ある人物を描いたこの小説は、二つの物語で構成されている。奇数章の舞台となるのはペルー北西部の町ピウラ、主人公は運送会社を経営する五十五歳の冴えない小男フェリシト。フェリシトには二人の子供があり、妻との関係は冷えているが、若い愛人がいる。ある日、彼のもとに、会社と家族の安全を保障して欲しいなら金を払え、という脅迫状が届く。フェリシトは「決して誰にも踏みつけにされてはならない」という父親の遺言を守り、会社が放火にあっても屈せず、あくまでも要求を拒否するのだが、そのため、愛人が誘拐されてしまう。いったい犯人は誰なのか? 警察の捜査が進むに連れて、事件の意外な真相が明らかになっていく。

一方、偶数章の舞台は首都リマで、物語の中心となる人物は保険会社を経営する八十代の資産家イスマエルとその部下のリゴベルトである。イスマエルは、二人の息子が遺産を狙って自分の死を待ち望んでいることを知り、遺産を息子たちに与えないために四十歳近く年の離れたメイドのアルミダと再婚する。そこで息子たちは遺産の相続権を取り戻そうと、結婚を無効にするための裁判を起こす。この厄介な出来事にイスマエルの結婚の証人となったリゴベルトが巻き込まれるのだが、イスマエルが急死し、事態はさらに紛糾することになる。そうした中、突然アルミダが姿を消してしまう。アルミダは誘拐されたのか? 真相は、偶数章の物語と奇数章の物語が思いがけない形で交差するとき、明らかになる。

複数の物語を並行して語る手法はバルガス=リョサが好んで用いる語りの手法である。もっとも、一つの章の中でいくつもの物語が同時に進行する『緑の家』や『ラ・カテドラルでの対話』といった作品とは異なり、この作品では二つの物語が章ごとに語られているので読者はストーリーを追うのに苦労することはなく、二つの物語が最後には一つになる予定調和的な小説の構成は、最後まで交わらない『密林の語り部』のように異物感を読後に残さない。また、バルガス=リョサの作品の愛読者にとっては、リトゥーマやレオン兄弟、リゴベルトやフォンチートといった馴染み深い人物が登場するのも嬉しく、ファクト・テラーとしての語り手の背後にフィクション・メーカーとしての作者の存在が見え隠れはするものの、『アンデスのリトゥーマ』や『ドン・リゴベルトの手帖』といった旧作を懐かしみながら、バルガス=リョサの創り上げる物語世界を存分に楽しむことができる。

バルガス=リョサは、私利私欲に満ちたこの社会において真の道徳を築き上げているのは無名のつつしみ深い英雄たちであり、そのことを示すのがこの作品を書いた動機だと述べているが、それに加えて、マスメディアの扇情主義とスキャンダルを好む大衆の無責任な迎合主義に対する批判もこの作品のテーマの一つである。事件に巻き込まれた作中人物たちは、マスメディアに追いまくられ、大衆の好奇の目にさらされて消耗して行く。現代の大衆社会が抱える問題は、この小説と同じ頃に出版された評論集『スペクタクルの文明』のテーマでもあり、バルガス=リョサの最近の関心事の一つのようである。(田村さと子訳)
この記事の中でご紹介した本
つつましい英雄/河出書房新社
つつましい英雄
著 者:マリオ・バルガス=リョサ
出版社:河出書房新社
以下のオンライン書店でご購入できます
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