時代の憂鬱魂の幸福 文化批評というまなざし 書評|張競(明石書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月12日 / 新聞掲載日:2016年2月26日(第3129号)

◇魂の100年を問う◇ 
知的満足にも応えてくれる教養の書

時代の憂鬱魂の幸福 文化批評というまなざし
著 者:張競
出版社:明石書店
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不可視のものがこれほど軽視される時代がかつてあったか。アウトカム、見える化、情報公開という口当たりよく、倫理的だとも信じられた言葉の背後で何かが見失われていく、そんな漠とした不安がある。本書の著者も、人間の「魂」がこの100年でじわり変質していく危機感をもっている。魂は見えないが、見えるものの背後で延々と人間の営みを支え続けてきた。もし魂に体質があるなら、批評という仕事は文化の根底にある体質に響く、苦い処方であらねばならない。それが先の100年の魂の行方を占うものにもなるからだ。

そんな本書が扱うテーマは多彩である。現代国際社会についての数々の思索と、書評等を通じた文学、歴史、美術、モードについて書き綴られた文化批評の小論が収録されている。それらが生薬のように習い性となった思考に働きかける。

現代社会の端的な困難とは、個人の「幸福感の喪失」と社会全体の「方向感覚の欠如」だと著者はいう。見えるものが重視される世界で、未来はむしろ見通しの悪いもの、不穏なもので溢れ始めている。この閉塞感の由来は歴史の変遷から説き起こさねばならない。著者によれば「人類の文明史は快楽主義か禁欲主義かの選択の歴史」であり、消費が美徳という現在の価値観は明らかに快楽主義に基づく。

これをメディアの喧伝が覆い隠し、資本主義経済が拍車をかけることで奇妙な逆説が起こる。つまり「経済活動は快楽の満足を利用し、利益をえることを目的としていたが、いまや経済システムの維持と拡大のためのもの」となる。この自己言及的―増殖的な大量消費社会は、禁欲主義の生き方でさえ消費の、欲望の対象にすることで、人々の行き場を奪っていく。

私たちには何ができるのか。二つあると著者はいう。一つは世界市民になるための情報リテラシーを手に入れること、そしてもう一つは、魂という見えないもの、でも信じざるをえないその力についてもう一度語り始めることだ。二つは密に関係する。それは禁欲か快楽かという二者択一に陥ることなく、個人、地域、社会、国、世界との複雑なつながりの中で人類の魂を、その幸福が何であるかを見定めることだからだ。

本書の数々の類例が、そのための処方を読者にそっと手渡してくれる。例えば人と人の信用は見えない。言葉に出せば済むという話でもない。それは国家間でも同様だ。「人の付き合いと同じで国家間もよい関係を作るには長い歳月を要するが、壊すのは一瞬である」。昨今の近隣諸国との関係を見ればすっと腑に落ちる。表面的なものや体面ではなく、文化の奥底で蠢き、窒息しそうな魂の声に耳を傾け、粘り強く信用を、結束を、未来を育んでいかねばならない。そんな声がどの行間からも響いてくる。

時に手厳しい声もある。大学のグローバル化を推進する「英語による講義は魂の植民地化」に他ならず、大学入試改革による「達成度テスト」導入はその由来を見極めよと進言する。毅然とした態度表明は、評者の溜飲を下げると同時に、身の引き締まる思いを奮い立たせてくれる。もちろん魂の安息場も忘れない。作家と編集者の魂の創造的ぶつかり合い、著者の娘さんと名物編集者との交流が柔らかな文体で記されてもいる。心温まるエピソードに事欠かないのも、著者の懐の深さ故であろう。

本書は、現代を見据えて思惟を深める術を教えてくれる良書であると同時に、沢山の書を渉猟したかのような知的満足にも応えてくれる教養の書でもある。
この記事の中でご紹介した本
時代の憂鬱魂の幸福   文化批評というまなざし/明石書店
時代の憂鬱魂の幸福 文化批評というまなざし
著 者:張競
出版社:明石書店
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