朱の記憶 亀倉雄策伝 書評|馬場 マコト(日経BP社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月12日 / 新聞掲載日:2016年2月26日(第3129号)

強く印象付けたシンボルの裏側 
「朱」とは亀倉の遺した貴重な教訓の色

朱の記憶 亀倉雄策伝
著 者:馬場 マコト
出版社:日経BP社
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2020年開催の東京オリンピックが迷走している。とりわけ、一度は正式決定した新国立競技場や大会エンブレムのデザインがドタバタ劇の末に白紙撤回されるなど、デザイン面の惨状はおよそ正視に堪えない。

この一連の混乱は、必然的にかつての東京オリンピックとの落差を際立たせる。戦後復興の象徴として記憶されている1964年のオリンピックは、外国人にも分かりやすいピクトグラム(絵文字)やユニークな構造の競技場など、デザインにおいても画期的な成果を収めた大会だった。とりわけ、シンプルで美しい公式エンブレムは大会を強く印象付けたシンボルとしてもよく知られているが、本書はそのエンブレムをデザインした亀倉雄策に焦点を合わせた評伝である。

少年時代に当時はまだ図案家と呼ばれていたデザイナーという職業を知った亀倉は、10代でその世界に飛び込み、構成主義的な資質を見出され若くして頭角を現す。日本工房では名取洋之助や土門拳のような強烈な個性の持ち主に鍛えられ、戦時中にはタイのグラフ誌「カウパアプ」のデザインを手掛け、かつて憧れた河野鷹思や原弘らの先達とも肩を並べるようになる。戦後は日本宣伝美術協会(日宣美)の設立に尽力する一方、ニコンではポスターのみならず製品デザインにも関わるなど、日本を代表するデザイナーとしての地位を確立する。父親の放蕩が原因で素封家だった実家が幼少時に没落し、学校を中退するなどの苦難も経験したとはいえ、82年の前半生は総じて恵まれたものであったようだ。

半面、時代の変遷には抗えなかったのか、大阪万博では「人類の進歩と調和」というテーマの理解に苦しみ、日宣美粉砕闘争では左翼学生の標的となり、長年の盟友であった江副浩正が失脚するなど、後半生はやや陰りが否めない。実は昨年は亀倉の生誕100周年にあたり、故郷の新潟ではその業績を回顧する展覧会が開催されていた。偶々その展覧会を見る機会のあった私には、本書の具体的な記述を通じて、時系列で展示されていた多くの作品がはっきりと思い起こされた。

亀倉のデザイン人生最大のハイライトは、やはり東京オリンピックということになるだろうか。第1章では亀倉が大会の公式エンブレムを担当するに至った経緯が詳述されているが、その中でも「まずつくるのは、大会を一貫したエンブレムだと思う。このエンブレムで大会中、日本中を埋め尽くす」という亀倉の台詞は印象的だ。亀倉は1つのテーマによって全体のデザインを統制することを強く主張し、その成果であった公式エンブレムによって64年大会の成功に大きく貢献したわけだが、同じ視点を現代に向けると、開催理念に基づく一貫したデザインポリシーの不在が20年大会を混乱に陥れている元凶であることも見えてくる。

現在の日本にとって、喫緊の課題が東日本大震災からの復興であることは言うまでもない。にもかかわらず、疑問の残る首相答弁と引き換えに招致にこぎ着け、本来復興に当てられるべき多くの人材や資源を投入して強行されるオリンピックに、この課題との接点は到底見いだせない。再コンペの結果、新国立競技場の設計者が新たに選出され、エンブレムの最終候補も絞り込まれたようだが、そもそも核となる開催理念が曖昧である以上、統制の取れたデザインなど望むべくもなく、今後も混乱は避けられないだろう。『朱の記憶』の「朱」とは、亀倉の遺した貴重な教訓の色でもある気がしてならない。
この記事の中でご紹介した本
朱の記憶 亀倉雄策伝/日経BP社
朱の記憶 亀倉雄策伝
著 者:馬場 マコト
出版社:日経BP社
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