遠国の春 書評|奥西 峻介(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月12日 / 新聞掲載日:2016年2月26日(第3129号)

刺激と深い示唆に富む 
詩心がたゆたう緻密な文章は彫刻に似る

遠国の春
著 者:奥西 峻介
出版社:岩波書店
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遠国の春(奥西 峻介)岩波書店
遠国の春
奥西 峻介
岩波書店
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昨今の旅客機は丸窓を閉めさせる。若者は密室でスマホに淫し黙々と外国へ運ばれる。サン・テグジュペリの「夜間飛行」で、操縦士は下界のいとしい人や、地球の円盤と、はるか交感を試みる。ぼくは煌めく氷河や尽きない中国の岩漠に酩酊、バイカルの瞳、しぶく丸い虹に眩暈し、オーロラを幾つも胸裡に反芻する。大方は窓外を決して見ない。見せない。本書は「図書」掲載の文を収録。再読し改め鼓舞される。

著者は地表と歴史の懸崖を這う。まるで、「梁塵秘抄」の歩き巫女のように天の教えを仰ぎ大地を慈しみ、山越え谷を伝わり原野を彷い、土地に根ざすモノとカタチと魂を模索する。精神の営み、その諧律を歴史の感覚と想像力を無礙に駆使、さり気なく言いあてる。詩心がたゆたう緻密な文章は彫刻に似る。

考える足のホモ・モーベンスは、ユーラシアの、人口に膾炙されない土地を風の如く移動して、容易には視覚に入らない事象の由縁、ありかを指し示そうとする。筆者はこの本で記述の割かれるカルパチア山系の農牧の村をフィールドとしているが、村で意想外な現象に出会うと、AとBの土地と比較して、資料にあたり、村の賢者に問い、他の隣接する土地との関連を推しはかり、跡づけようとする。バルトークの音楽採集と近似する。

生真面目な民俗学徒と思いきや、奇抜さも。侮りおととい来いと尻まくる所作についてである。自身、そんな局面にロンドンやクラクフで遭遇したことがある。その際、岩手では、ケツけっちゃにして(尻を逆さに大慌てで)逃げる。各地の尻まくりに著者は日本や中国の故事も引く。スカトロ爺や洒落本京伝も裸無礼も感嘆膝を叩くだろう。

奥西さんに地球は尽きぬ黙示録である。魚の目に怖じぬアル(歩)き×(目)デスのユリイカの予兆を背に、ペルシャ、イラク、エジプト……と巡る。風俗、遺跡、神事に言及しつつ、日本への視線も忘れない。様々な民族の住みなす地域の事象が意外に軌を一にすると改めて知らされる。キイの一つは言葉、儀式の際のふとした所作にも秘密は潜む。

ペルセポリスの円環、花輪、日本の茅の輪のそれは呪力の伝承、再生と係り、発想は、注連縄、C・ブランクーシの彫刻「無限柱」につながると、想像の翼は拡がり行く。

聖性、神性を一身に帯びて雄々しく、かつ、優しい牛や、桃、三なる数字について喚起される。オヴィディウスの「変身物語」で、人が牛に変身するのがよく分る。人類の精神、宇宙の摂理を閲する基層文化の核は、時空を超えて類似すること言うまでもない。

文化の生成、発展、受容、変容、消滅のくすしきヴェクトルに心惹かれる。著者は、ものごと、心に映るよしなしごと、幻影の間隙を縫い想念をめぐらし、糸のもつれをほどく。氏は、見る観る凝視する。意味をたずね、深く分け入り、東西の大気のゆらぎの中で、根を探り類推する。ひとえに知への傾斜、愛、ユマニスムへの志向。読んで快い興奮に誘われる。村人に頼んだ弔いの記述がある。

筆者は死者の結婚式について詳述(『マラムレシュ』未知谷)したことがある。敷衍して、未婚の若者が身罷ると、村では結婚式の形で弔いの儀式をとり行う。式は劇中劇で樹木信仰、太陽崇拝が介入し、はては夜っぴてのオージー、涙の共和国となる。そのアルカイズムが尊い。著者の驚きはいかばかりだったか。刺激と深い示唆に富む本である。惜しむらくは言葉の誤記三つ。
この記事の中でご紹介した本
遠国の春/岩波書店
遠国の春
著 者:奥西 峻介
出版社:岩波書店
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