モノローグ 書評|沖島 勲(書肆子午線)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年10月7日 / 新聞掲載日:2016年10月7日(第3159号)

モノローグ 書評
おもしろい。そして、さびしい 感想と哲学を詩にする沖島ワールド

モノローグ
出版社:書肆子午線
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モノローグ(沖島 勲)書肆子午線
モノローグ
沖島 勲
書肆子午線
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去年亡くなった映画監督沖島勲の未映画化シナリオ集。もっと撮ってもらいたかった。せめて彼が構想していたものを知りたい。そんな願いを叶えるものだが、実は生前から企画されていた本である。「映画を志す若い人へ、自分のような映画との携わり方があることを示す本を出したい」と彼は考え、収録するものも自分で決めていた。この世で監督した七本の作品、約一二三〇話を書いたというTVアニメ「まんが日本昔ばなし」および若松孝二や渡辺護の作品での脚本家としての貢献にくわえて、この一冊。沖島さん、やりましたね。そうじゃない、やってたんだよ、と沖島ワールドがここでさらに大きくなった。

沖島勲の映画は、とにかく笑わせる。何がおかしいのか。実は、そんなにおかしくない、平凡といえば平凡なこと、だれもが体験しながらたいていは見すごしているようなことへの感想の抱き方、そしてその感想の語り方が、普通じゃないのである。彼自身が若い女性と散歩しながらしゃべっていく作品『怒る西行 これでいーのかしら。』は別として、沖島作品は、物語と構成への、この一人称の感想の配分のしかたが独特なのだ。感想が配分されることでユニークな構造をもつ哲学になる。近代以降、通用してきた物事の受けとり方、もっともらしい説明、そういうのはみんな間違っているのではないかと疑う哲学である。

本書のシナリオ五本は、こんなの考えるのは沖島勲しかいないというものばかり。おもしろい。そして、さびしい。表題作「モノローグ 戦後小学生日記」は、監督自身が登場して子ども時代を語り、それが画像になっていく素朴な構成。ナレーションの調子は『怒る西行 これでいーのかしら。』を引きついでいて、感想の配分はない。感想が配分されてハチャメチャな展開をもつのは「虚数」という作品。厚みも十分にあり、随所に哲学のエンターテインメント化がおこる。「月光」の構成の大胆さにも驚く。主人公がある時点でまったく別な人生に入る。そんなこと、できるのか。人生への問いがそのまま作品の成立への問いにもなるような作品である。
「モノローグ 戦後小学生日記」でも語られるが、一九四〇年生まれの沖島勲は疎開を体験した。エッセイ「映画と教育」に「四歳のときに人生最大の体験をした」とある。畑仕事をする母のそばで「母が急に居なくなるのではないか、という不安の念」にかられながら、高い木の上にいる小鳥たちに衝撃を受ける。そこには「自分が意識しなくても、自分が気づかなくても、別の世界がある」。それが「抑圧を快楽に変えるような秘密装置」の発見となった。幼児期のことにそんなに執着するのも沖島勲らしさだろうが、その体験と子どもがどの作品にも生きている。彼の感想と哲学を詩にしているものだ。

作り手が本気でやりたいと思うものがなかなか実現できない。ある意味でそれが映画である。未映画化シナリオ、なぜやれなかったのかと悔しんでもしかたない。沖島勲、すごい人だったと奉ってもそれだけのこと。つらい。映画ってなんだろう。いや、映画がどうだこうだという次元をこえた風が本書からは吹く。沖島ワールドでは、映画は一万年後には「ヤメトケ」だ。帯にある彼の言葉を引くと「自分なんて何者でもない、その辺に生えてる草や何かとそう変わんない存在じゃないかという、そのぐらいの気持ち」でこの宇宙に出なおしたい。そんな感想をもった。
この記事の中でご紹介した本
モノローグ/書肆子午線
モノローグ
著 者:沖島 勲
出版社:書肆子午線
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