21世紀のソシュール 書評|松澤 和宏(水声社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月7日 / 新聞掲載日:2018年7月6日(第3246号)

豊かな思考帯域の広がりに立ち返る 
今まで見たことがないソシュールの思考に近づく

21世紀のソシュール
著 者:松澤 和宏
出版社:水声社
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21世紀のソシュール(松澤 和宏)水声社
21世紀のソシュール
松澤 和宏
水声社
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20世紀、ソシュールの概念と術語は多くの文化や学問領域に多大な影響を及ぼした。しかしながらその源流たるソシュールの試論をまとめたテクストは当時の弟子であるバイイとセシュエが講義録を編集したものであった。本書はその後検証が進んだ自筆原稿や講義のためのノート、また複数の聴講ノートとの比較調査、訳語そのものの省察に及ぶような研究成果を16人の研究者が多方向からアクセスしていき、今まで見たことがないソシュールの思考に近づく書物である。

『一般言語学講義』(以下『講義』)は、とりわけフランス語圏の思潮を席巻していた現象学とは別のアプローチで、世界と認識を捉える枠組みとして浮上した。言語の分節化が世界の分節化の基盤になっているという合言葉によって、「概念」と言うよりはその「術語」が多様な解釈によって、文化人類学や精神分析、表象文化論など広範な分野に接続した。しかし編者である松澤和宏氏は本書を次のような目論見で編む。ソシュールの創造した概念をプロトコルにして一つの規則によって世界を説明したいという性急な欲求への警告、またそれと同時にソシュールが概念や術語を生み出す経緯に立ち返りそれらの豊かな思考帯域の広がりに立ち返ることである。

いくつかご紹介したい。まず小野論文は自明のことのように使われてきたソシュールの概念〈arbitraire〉の訳語である「恣意性」を、その翻訳史から辿り、バンヴェニストと照らしながら、本来ソシュールがいかなる関心でこの語を導入しようとしたのか問題の核心へ目を向けさせる。いわばシニフィアンとシニフィエの結びつきには意志的もしくは無意識的な動因が働いており、〈arbitraire〉とは少なくとも単なる曖昧な自由選択ではないということ。シニフィアンとシニフィエの間にはいつも「意思や主体性の問題を介入させる」(204頁)なにものかがあることを示すために選ばれた用語であることが述べられている。〈arbitraire〉には「審級」の意味もあるということである。こう言ってよければシニフィアンとシニフィエが結ばれるためには〈arbitraire〉が「恣意から審級へ」と二段組の過程を含まなければならないということであろう。現在の認知科学においては言語の誕生は生得的側面と社会的側面の双方から研究されているが、ソシュールの〈arbitraire〉には双方を繋げる可能性があるのである。

事実1つの言語記号について、2つの位相からソシュールは考えようとしていた。松澤論文は聴講ノートから『講義』へと編集される中で「聴覚影像と概念」が「シニフィアンとシニフィエ」の術語の対に置き換わる過程を丁寧に再現する。一見同じものであるかのように見える二つの対は、一方は言語記号の一般化であり、他方は特殊化を示している。同時に二重に折り重なっている。だから有名な「言語記号は恣意的である」という言葉は特殊化されれば「シニフィアンはシニフィエに対して恣意的である」と言い換えることが出来たはずだった。しかしソシュールがそう述べなかったのは思考実験の一般化を望んでいたからだった。

ソシュールが行った特殊化された思考実験は「シニフィアンとシニフィエ」をどちらも点のような不動不変の術語ではなく線の術語として捉えている。点の決定的配置から組み置かれる体系ではなく、変化と関係性を伴う線の体系なのである。従来の世界を分節化する単純な規則ではないのだ。

注目すべきは『講義』によって強調された「ラングを唯一の対象とする本来の言語学」は、ソシュールの草稿において真逆のことが主張されている点だ。言語学が扱う「ラング」とは言語記号の特徴を限定して扱うために仮設される《思考領域》であるというのである。すなわち「ラングとは『観念と記号の間の心的な結びつき』のみで出来上がっている『非現実的な』対象なのである。生きた言語になるためには、話す大衆と時間が導入されなければならない」(75頁)。言い換えればシニフィアンとシニフィエによって描くことができる仮説的な抽象領域が「ラングの体系」なのだ。

しかしその思考実験は「ラングの体系」の限界も示していた。ソシュールは言語以前に何らかの純粋思惟があると想定している。この思惟は不定形であり従って言語学の対象にはならない。しかし一旦「ラングの体系」によって言語記号が静的モデルとして適応されると、この言語記号が誕生してくるはずの動的な純粋思惟の場との繋がりが消えてしまうのだ。またこの「ラングの体系」はこれを観測している観測者の共時的な体系でしかない。この思考実験は歴史的に観測すれば、むしろ波によってゆっくりと形を変える岩礁のように変化と持続を見渡すことが出来る。ただし「ラングの体系」の中にとどまれば、時間の流れの中でその「ラングの体系」は無効化されるのである。再録された野村論文に準じて言えば、一人の観察者の識別の仕方が、そのままその「体系」を作ってしまう。時代を超える「体系」と呼ぶものは一般化出来るものではなく、観察者が生きた限りの識別に過ぎない。「言語学を否定する言語学という革新的な書物」(123頁)こそソシュールが書かなかった書物なのである。

だからこそ、ソシュールが書いた「講義ノートや草稿群」と、他者に話し聴かれた「『講義』や聴講ノート」の間に21世紀のソシュールは立ち上がってくるのではないか。さらには20世紀から21世紀へ辿る「ラングの体系」にこそ、ソシュールの生きた書物が生まれ続けるのではないか。

本書は『講義』刊行100年記念研究集会「ソシュール、『講義』そしてわれわれ」の発表記録が集成されたものである。若きソシュールが伝説や神話に現れる「本筋と関係のない細部」にこそ歴史的事実が残されるという全く新しい歴史学の方法を検証する金澤論文なども含まれる。『21世紀のソシュール』は言語学の領域にとどまらず多くの一般読者にもう一度話すこと、聴くこと、書くことに揺れる世界を結ぶ言葉について考えさせるだろう。20世紀初頭に言語記号によってソシュールが行った思考実験は終わっていない。21世紀の今日の問題である。
この記事の中でご紹介した本
21世紀のソシュール/水声社
21世紀のソシュール
著 者:松澤 和宏
出版社:水声社
以下のオンライン書店でご購入できます
「21世紀のソシュール」出版社のホームページはこちら
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