マニエリスム談義 驚異の大陸をめぐる超英米文学史 書評|高山 宏(彩流社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月7日 / 新聞掲載日:2018年7月6日(第3246号)

ウロボロス的循環リズム 
近づきがたい二重らせんの回転

マニエリスム談義 驚異の大陸をめぐる超英米文学史
著 者:高山 宏、巽 孝之
出版社:彩流社
このエントリーをはてなブックマークに追加
本書の特徴はその対話形式にある。「談義」というタイトルはその意味で正確であると同時に注意書きにもなっている。まえがき「マニエリスト的無意識」とあとがき「マニエリスムな出会い方」を除けば、構成上の階層構造は(編集担当の方の熱意と労力か)端正なレイアウトの目次に表されているとおり、序章「なぜ、いま、マニエリスムなのか?」と終章「マニエリストはどう生きるか」の間に四つの章、第一章「アメリカン・ルネッサンスとマニエリスム」第二章「ピクチャレスク・アメリカ」第三章「アメリカ・文学・日本」および終章が並び、後に「特別収録:『不思議の国のアリス』と/のアメリカニズム」が付く。さらに一章から三章と特別収録には内容をタグ化した小見出しがずらりと並んでいる。しかし実際の文面は、高山宏氏と巽孝之氏という二人の(著者ならぬ)話者が語り合った言葉をほとんどそのまま活字にしたものであり、見かけの階層構造は、途切れることなく呼応し合う声の流れを視覚的に秩序付けようとする涙ぐましい努力の賜物である。本を開いて読み始めた途端に、思考の流れと展開と調和と飛躍と唐突が生き物のように(生き物なのだが)幾つもの蔓を伸ばして読者/聞き手を搦め捕り、博識と知性と即興と笑いと怒りの(言の)葉をこちらが追いつかないほど矢継ぎ早に(まれにはふと切なげに)広げてみせる。それがずっと続くのである。

本書に集められた対談の主な話題はマニエリスムと英米文学である、という要約は不十分である。まえがきで巽氏が指摘するマニエリスムの属性には「迷宮性や超現実性、自己言及性、修辞学に脱修辞学、逆説趣味、創造的誤読、デフォルメやパロディ/パスティーシュ、パリンプセスト、ウロボロス構造やメタパースペクティヴ、ひいてはカットアップ/サンプリング/リミックス感覚」などがある。これらは対談で言及される内容であると同時に対談そのものが帯びている性質である(高山「というか、僕はコンテンツと文体って区別できないからね」)。例えば一章で「十六世紀最大のマニエリスム」バルダッサーレ・カスティリオーネの『宮廷人』は「宮廷にいながら生き延びていくには、どんなに正しさを嘘と言い、嘘を正しいと言わないといけないか」を書いた規範であり、「アメリカのトランプ大統領の現在を読むのに一番いいような」「マニュアル」(手と戦略)であると高山氏が説明した直後には以下のような会話が飛び出す:
高山:さて、マニエリスムを十五分で説明してしまおうか。その前に、巽さんにとってのマニエリスムの定義って何?「俗化したアヴァン・ポップ」(笑)?
巽:ここで一気に一九九〇年代のポストモダン文化が登場すると、読者はびっくりするかもしれませんね。
高山:する、する(笑)。でも、そういう話になるしかない。

かくしてふたりの対談はしばしばジェットコースター的あるいはバンジージャンプ的なスピード感と快感と畏れを提供/具現しつつ、F・O・マシーセン『アメリカン・ルネッサンス』(一九四一)に始まり、時代を戻って「ルネッサンス」の概念を作った一八六〇年のブルックハルトやその一〇年後のウォルター・ペーターからヘンリー・ジェイムズへと繋がり、(少し後で出てくる地球空洞説の布石でもある)アメリカ文学と地面を掘る話を経てハーマン・メルヴィルに突入し、その後はドナルド・トランプとダニエル・ブーアスティン『幻想の時代』(一九六二)に触れたうえで「リアル」と「ファクト」について語っていく。この後も「現実の見え方を根本から革新してしまうような驚くべき奇想」(巽)に満ちた話題を次々に繰り出しながらダンスか歌のようにも続いていく(高山「そうだな、アメリカのマニエリスムといったら三人いると思うんだよね。ジョン・アッシュベリー、スーザン・ソンタグ、それから嫌いな人多いけどジョン・アップダイクだね」)。話の焦点を次々に転がし閃かせながら、ピクチャレスクに力点を移しつつ日本との接点へと展開していく第二章も、さらにアメリカと日本文学や東京や千葉との繋がりを可視化し、原爆や「核の想像力」も包摂しつつ、福島や熊本に言及していく一方で現代日米の政治にも切り込んでいく第三章と終章も、「循環史観」を体現して部分的反復を繰り返し、らせん状にずっと続いていくのである。

興味深いのは、例えば高山氏のマニエリスト的横溢をいつのまにか秩序へと揺り戻す役割は巽氏が担っているように見えながら、マニエリスムの、またはピクチャレスクの各論的展開の例を巽氏がいわば周縁へと(微に入り細にわたって)放射状に繰り出してくると、今度は高山氏の方がマニエリスム・ピクチャレスクのキメラ的中心へと話を絶えず接続し直して見せている点である(高山「…僕の大きな議論としてはマニエリスム・ピクチャレスク・ポストモダンであって、またしてもの循環史観だけれど、大枠はそれで決まりだと思っているのさ」)。それがふたりの対談に一定のウロボロス的循環リズムを与え、いつまでも読者/聞き手の注意をそらなさい要因にもなっている。逆にいえばこちらには息つく間もない。どこにも「休憩」を取ったような気配が紙面にないのも不思議というよりも不気味で、延々と休まず弛まずこれを続けることができるのは超人、とやはり驚愕と憧憬を抑えられないのだが、その視線の向こうに、たとえるなら回転を続けるDNAの二重らせん構造が見えてくる。かつて本紙で八木敏雄『マニエリスムのアメリカ』の書評を担当した際には、その表紙に使われた(そして本書でも繰り返し言及される)ウィルソン・ピールの絵画にならって本全体を博物館にたとえ、その窓から遥かなる世界への拡がりが見えるイメージを描いた。それに対して本書では、向かい合う二本のらせん状の塩基(命の元)の連なりが、回転しながら次々と複製と創造を繰り返す様が見えてくる。大西洋を挟んだ二つの大陸の図にも似るその二本は、ポーの芸術論にある「unity, variety, originality」を引き合いにして自己言及的にその創造原理を説明したり、「模倣」と「猿真似」の違いについて述べたり、全編を通して循環的に言及される「アルス・コンビナトリア」(繋ぐ技術)を説いたりする。通常は近づけないこの二重らせんの回転と動きそのものを「読む」ことを可能にしてもらったおかげで、文学や芸術が存在する理由や人が何をなぜ生み出し続けるのかということにさえ思いを馳せることができる。躊躇なく再挿入されているイラストや写真が大きな助けとなっていることも強調したい。それから、自分でも驚いたが、あとがきを読んでいる途中で落涙した。
この記事の中でご紹介した本
マニエリスム談義  驚異の大陸をめぐる超英米文学史/彩流社
マニエリスム談義 驚異の大陸をめぐる超英米文学史
著 者:高山 宏、巽 孝之
出版社:彩流社
以下のオンライン書店でご購入できます
「マニエリスム談義 驚異の大陸をめぐる超英米文学史」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
長岡 真吾 氏の関連記事
巽 孝之 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 評論・文学研究 > 世界文学関連記事
世界文学の関連記事をもっと見る >