連 載 映画におけるヒーローの表象 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く63|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2018年7月10日 / 新聞掲載日:2018年7月6日(第3246号)

連 載 映画におけるヒーローの表象 ジャン・ドゥーシェ氏に聞く63

このエントリーをはてなブックマークに追加
シネクラブでジョン・フォードを取り上げる
HK 
 イーストウッド最新作『15時17分、パリ行き』はご覧になられましたか。2015年に高速鉄道の中でテロリストを捕まえた三人の若いアメリカ人の実話に基づく映画です。
JD 
 もちろん見ています。その事件はアラス(ドゥーシェ出身地)を舞台としています。電車がアラスに停車したのです。なのでイーストウッドはアラスで撮影をしました。そのことが理由で、彼はアラス市から勲章を授かっています。イーストウッドの受勲から三ヶ月後、私もアラスから勲章を貰いました(笑)。
HK 
 作品はいかがでしたか。
JD 
 それなりに良い作品だったと思います。あなたは、どのように考えましたか。
HK 
 イーストウッドのファンとしても、非常に好きな作品です。この映画を見ながら、アメリカとヒーローの存在について非常に強く考えさせられました。
JD 
 そのことのために作られた作品ですからね(笑)。
HK 
 数年前からイーストウッドは、絶対的英雄についての映画を作っていないのではないですか。イーストウッドという存在自体が、すでに絶対的英雄であることからして、近年の彼のあり方は非常に興味深く感じます。映画史を振り返ると、アメリカにはいつもヘンリー・フォンダのような正義の俳優がいました。ゴダールは、ジェーン・フォンダを使ってそのような正義のイメージを考察していました。ヘンリー・フォンダだけではなく、その後もイーストウッドやチャールズ・ブロンソンのような俳優が存在していました。しかし今日のアメリカ映画を考えると、そのような正義と結びつく俳優がいなくなっています。
JD 
 そのことが理由で、イーストウッドはそこら辺の街頭でヒーローを探そうとしています。アメリカのヒーローはそこら辺の街路へと存在の場を移し、ヨーロッパの電車の中にまで入り込んでいるのです。イーストウッドは、ヨーロッパの電車の中でさえハリウッドを見せたかったのでしょう(笑)。
HK 
 もしイーストウッドのようなヒーローが電車の中に乗っていたら、テロリズムなどは全く問題となりませんよね(笑)。
JD 
 ヒーローに対するテロリストは、恐怖の対象とはなりません(笑)。
HK 
 そのような考えを踏まえた上で、ヒーローという存在はものすごくアメリカ的な考え方なのだと思います。
JD 
 当然のことです。
HK 
 でも、その英雄的精神という考え方は、フランスにも存在しているのではないですか。ナポレオンの時代から、しばらくの間フランス人は英雄を好んでいたではないですか
JD 
 英雄は、その時代のフランス人にとって非常に重要な存在でした。
HK 
 ところで、フランス映画における英雄の存在をご存知ですか。
JD 
 フランス映画における英雄については、あまり深く考えたことがありません。
HK 
 アメリカとは違う形で長年に渡り、限られた存在ですがヒーローが存在していたのではないかと僕は考えています。例えば、アラン・ドロンはイーストウッドのようなヒーローだったのではないでしょうか。
JD 
 アラン・ドロンはヒーローではなかったと思います。フランスにおけるヒーローについては、どうやってお答えすればいいのかよくわかりません。
HK 
 例えば、ルノワールの『大いなる幻影』の、ジャン・ギャバンはフランス風のヒーローだったと言えるのではないです。
JD 
 ヒーローのようなところもありますが、それ以上に複雑な存在です。フランスのヒーローとは、例えばルノワールの映画においては、決して英雄然としていません。
HK 
 つまり、アメリカとは違った形でヒーローがいるということですか。
JD 
 当然、アメリカとは英雄のあり方が異なります。それでも、フランスの商業映画や世間でよく知られている映画をみればヒーローは存在しています。
HK 
 アメリカ風のヒーローということですか。
JD 
 アメリカのヒーローからフランス風へと翻案されたヒーローです。正義を行う存在です。
HK 
 フランスとアメリカのヒーローを巡って、少し不思議に思うことがあります。19世紀のフランスの長編小説や短編小説において、フランス人はヒーローを好んでいました。でも20世紀初頭の映画に限った話をすると、フランスの英雄を映画の中に表現できたのは、グリフィスやデミルに依るところがあるのではないでしょうか。
JD 
 確かに、19世紀においてヒーローは重要な存在でした。しかし、一点注意をしなければいけないのは、ヒーローを好んでいたのはフランスだけではなく、ロマンティズムの文化です。フランスとロマンティズムは、同じものではありません。ロマンティズムとは、王や貴族の考えに支配されていた、特権階級の考える世界から抜け出す際に生まれた、歴史の動きです。 <次号につづく>
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテーク・ブルゴーニュ)
このエントリーをはてなブックマークに追加
ジャン・ドゥーシェ 氏の関連記事
久保 宏樹 氏の関連記事
ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」のその他の記事
ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」をもっと見る >
芸術・娯楽 > 映画 > 映画論関連記事
映画論の関連記事をもっと見る >