向こう半分の人々の暮らし 19世紀末ニューヨークの移民下層社会 書評|ジェイコブ・リース(創元社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月7日 / 新聞掲載日:2018年7月6日(第3246号)

向こう半分の人々の暮らし 19世紀末ニューヨークの移民下層社会 書評
◇現代的な五つの意義◇ 
リースは「アメリカの世紀末」の精神そのもの

向こう半分の人々の暮らし 19世紀末ニューヨークの移民下層社会
著 者:ジェイコブ・リース
出版社:創元社
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かれこれ三十年ほども昔の話だが、デンマークのリーベという田舎町へ旅したことがある。

かの国きっての古都にして名だたる観光地との触れこみだったが、名所旧跡に当たるところは文字通りの「旧跡」、旅行者相手のレストランも日本語の「一膳飯屋」というほうが似合いそうな店で、夏のさなかのこととて盛大にハエがたかってくるのに閉口したものだった。おそらくいまは小ぎれいに整えられていることだろうが、冷戦最末期の一九八〇年代の欧州の端っこ(と言っては失礼だが)はそんなところが通り相場だったものである。

それでも感慨ひとしおの気分だったのは、ひとえにここがジェイコブ・リースの故郷の町だったからにほかならない。

ジェイコブ・オーガスト・リース――今回訳出された『向こう半分の人々の暮らし』の著者である。

一八四九年にここでラテン語教師の息子に生まれたリースは二十歳を過ぎて単身渡米。以後、肉体労働からゴム紐売りのセールスマン等々、文字通り裸一貫でたたき上げてニューヨークの大衆新聞の「サツ担」にもぐりこみ、四十歳で本書の原型になったルポルタージュを発表。その成功で一躍、都市問題の元凶と見られていた下層移民の「スラム」状況を知悉する専門家と遇され、のちに合衆国大統領となるニューヨーク州警察庁長官セオドア・ローズヴェルトの知己を得て、やがては「招待状なしにホワイトハウスに出入りできる」当代きっての社会改良運動家と称されるまでになったのである。

本書はそんなリースの代表作というわけだが、その現代的な意義をいくつかの側面から紹介しておこう。

まず都市社会学の史料として、本書は十九世紀末ニューヨークの最貧地区の、おそらく最も有名なドキュメントのひとつだろう。本書の訳者あとがきにもある通り、一八九〇年代は世界各地の大都会で「スラム」の様相を報じるルポルタージュが話題になった時代だった。それはこの時期が大衆文化としてのジャーナリズムの勃興期であったことの反映でもあるが、同時にこの少し後から、より細密な移民社会の学術調査を柱として、都市社会学という分野も確立されるようになってゆくのである。

ちなみにリースには“The Making of An American”(あるアメリカ人の誕生)と題する自伝があり、ユダヤ系女性メアリー・アンティンの自伝などとならんで「移民のアメリカ化」を伝える史料のひとつにもなっている。

第二はアメリカ社会思想史の文脈において、本書は革新主義時代のエトスを典型的に体現した一次資料に当たる。革新主義は都市計画においては「都市美化運動」の推進力になると同時に、社会政策分野では従来のキリスト教的救貧事業から、より制度化された社会福祉と公衆衛生の政策事業化の橋渡しの役割を果たした。これが大きな背景となって、アメリカではこの後、知識社会における公共政策の専門化への期待が高まってゆくのである。

第三には本書が、いわゆる印象主義文学との明白な類縁性を感じさせることが挙げられる。実際、この本のそこかしこにスティーヴン・クレインを思わせるピクチュアレスクを見出すのはごく自然なことだろう。両者が同じ資質の書き手であったというわけではない。彼らの読者のほうに、同じ「眼」がそなわっていたことが明らかなのである。

第四にいましがた述べたことにつながるが、本書は近年の視覚文化研究における窃視論への扉となるものを具えている。これも訳者あとがきが指摘する通り、本書の筆致にはいわゆる「スラミング」(スラム見物)の淫糜な快楽を誘うものがある。そして敷衍すればそれは、リースの盟友たるテディ・ローズヴェルトに象徴される革新主義のマスキュリニティと、この時代に形成された現代的な都市美学のセンシュアリティとの関わりを解くジェンダー論的な問題意識を喚起するものでもあるだろう。

そして最後に本書は、なによりも現代的な写真史研究の展開のなかで再発見され、かれこれひと時代ほどの間も、陰に陽に注目されてきた史料だった。先に触れた第三第四の観点も、ここに関わっている。かつて『アメリカ写真を読む』のアラン・トラクテンバーグが喝破したように、リースは世紀転換期のジェンティールな階級の読者たちに「悪徳を覗き見る快楽」という「トロフィー」を差し出した。その意味で彼はまさしく「アメリカの世紀末」の精神そのものだったのである。

そして思えば三十有余年前の私自身、これら諸々が脳裏に交錯し反響するような思いに促されながら、マンハッタンのダウンタウンにいまも残るジェイコブ・リースの名を冠した通称「プロジェクト」(公共福祉住宅)を訪ねたり、わざわざ大西洋を渡ってリーベの生家跡にまで足をのばしたりしていたのだった。もっとも生来の怠惰とその他諸々が重なって、いくつかの小文をものしただけに終わってしまったのだけれど、せっかくの訳書刊行を機に、書棚の一角に仕舞い込んだ資料を引き出してみようかと思っている。(千葉喜久枝訳)
この記事の中でご紹介した本
向こう半分の人々の暮らし  19世紀末ニューヨークの移民下層社会/創元社
向こう半分の人々の暮らし 19世紀末ニューヨークの移民下層社会
著 者:ジェイコブ・リース
出版社:創元社
以下のオンライン書店でご購入できます
「向こう半分の人々の暮らし 19世紀末ニューヨークの移民下層社会」出版社のホームページはこちら
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