ゴダール36年ぶりの来日、日本初の会見ーその全容 真の映画とは何か 「高松宮殿下記念世界文化賞」の受賞を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2018年7月9日 / 新聞掲載日:2002年11月22日(第2463号)

ゴダール36年ぶりの来日、日本初の会見ーその全容
真の映画とは何か
「高松宮殿下記念世界文化賞」の受賞を機に

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映画作家、ジャン=リュック・ゴダール氏が、第14回「高松宮殿下記念世界文化賞」の受賞を機に、10月22日、36年ぶりの来日を果たし、翌23日には、日本で初めてとなる記者会見を行った。10月18日には、ゴダール監督・出演の二作『愛の世紀』『そして愛に至る』のDVDが紀伊国屋書店から発売されたばかりだが、自身の最新作について、あるいはハリウッド映画や日本映画について、一時間を超えて、記者の質問に応えた。この会見の全容を、紙上で再現する。(編集部)

『週刊読書人』2002年11月22日号掲載

第1回
映画をつくること、それしかできない

──昨年の9月11日以降、映画作家として現実の世界に対して、どのようにコミットしていくことができるとお考えですか。

ゴダール
私は映画作家に過ぎません。映画を作ること以外に何かをすることはできません。ただし、次のことは言えるかもしれません。今年、一周年の追悼式があった時に、ワールドトレードセンターで亡くなった人たちの名前がすべて読み上げられたのに対して、飛行機の中で死んでいった人間の名前に言及されることはありませんでした。その点に関して、映画作家として関わっていくことが、映画の使命ではないかと思っています。

──あなたが映画を作り続けるのはなぜですか。

ゴダール
映画を作ること、それしかできないからです(笑)。映画は楽な作業です。目の前に機械があって、スタッフがいて、すべて彼らがやってくれます。小説だとこうはいかないでしょう。書くのはすべて自分ひとりでやらなければならない。ひとつ言えることは、歳をとるごとに、見ることの大切さ、聞くことの大切さ、そして映画を作ることの難しさがわかるようになってきたということです。

──今一番、映像作家として興味を持っているテーマは?

ゴダール
私の次回作は『ノートル・ミュジック』(『私たちの音楽』)というタイトルで、この作品を観ていただければ、今の質問の答えがよくおわかりになるのではないでしょうか。抽象的に、二言三言で説明するなら、三部構成で、第一部の題名は「第一王国(地獄)」、第二部は「第二王国(煉獄)」、第三部が「第三王国(天国)」になっています。これで大体どういうものなのか、想像していただきたいと思います。もし言葉で皆さんに描写することが今できるとしたら、私は映画を作る必要がないということになってしまいますから。

──あなたは以前、「中国の文化大革命が、自分を商業映画と決別させた」とおっしゃったそうですが、そのことについてお聞かせください。また今の中国をどのようにご覧になっていますか。

ゴダール
一九六八年当時、フランスでは、重要な社会的文化的な事件が起きていました。その時、私は映画を作り始めて十年ほどになっていましたが、今までと同じようなやり方で続けることが、果たして正しいのかどうか、考えるようになりました。そして、私は少し離れ、孤立していきました。しかし、その後、以前とは違うやり方で、普通の映画の世界に戻っていくことを試みました。それは多少なりとも成功したと思います。いわゆる一般の観客(もちろん、一般の観客と言っても、私の映画を見る人は非常に限られていますが)向けの映画と、本当の意味での研究・探求と言える作品をよりうまく分けて作れるようになったからです。この研究の映画の方は、ほとんど人に見てもらえないような映画です。最近、七、八本、そういう傾向の映画を作りましたけれど、ほとんど人に見てもらっていません。

それから中国に関して、もちろん新聞で報道されていることは読んでいますし、テレビに出てくることも見ています。しかし新聞やテレビの報道を、私は半分か、四分の一ぐらいしか信じていませんので、ほとんど知らないと言ってもいいでしょう(笑)。中国に関しては、昔よりも今の方がよく知らないと言えます。中国、台湾、香港の映画は、本当にわずかしか見ていません。しかしわずかに見た中国、台湾、香港の映画について、全体として持っている感想は、大体、アジア風あるいはヨーロッパ風に味付けしたアメリカ映画だということでした。

──商業主義的なハリウッド映画が世界を席巻している現状についてどう思われますか。

ゴダール
アメリカ映画の支配ということ、それは私にとっては不可思議なミステリーです。ヌーヴェル・ヴァーグの時代、私たちは、あるカテゴリーのアメリカ映画を支持してきました。ヨーロッパ映画に対して、ヨーロッパ映画に反対するために、あるいは他のハリウッド映画に反対するために、あるカテゴリーのアメリカ映画を支持してきました。そのカテゴリーの映画は、「小さな映画」といわれていたアメリカのB級映画であって、初期のエリア・カザン、ニコラス・レイ、アルドリッチの映画です。そうした私たちの立場はかなり攻撃を受けました。しかし文学においても、『風とともに去りぬ』を書いたマーガレット・ミッチェルよりも、エドガー・ポーやメルヴィルの方を支持しているのと同じことです。ですから私が反アメリカ的だと言われると、少し笑ってしまいます。ハリウッドについては、今も私にとってはミステリーです。今日、ハリウッドは、昔と比べて、随分変わってしまいました。本当のプロデューサーは、もうハリウッドにはいない、ハリウッドにいるのはエージェントと弁護士ばかりです。ハリウッドはある種のやり方に成功したと思います。それは経済的な意味での工場と夢とを混ぜ合わせるやり方に成功したのだと思います。第一、ハリウッドは、長い間、「夢の工場である、しかし夢は工場で作られるべきではない」という批判を受けてきました。しかしハリウッドは夢の工場という、共産主義が成功しなかった試みに成功したのだと言えます。そしてなぜハリウッド映画が人の気に入るのか、私にも気に入るのか、それはわかりません。実際、私自身、金曜の夜や土曜日に映画を観に行く時、ノルウェーや日本の悪い映画を観に行くよりは、アメリカの悪い映画を見る方が好きです。これはすべての人について同じだと思います。悪いスウェーデン映画やギリシャ映画を見るよりは、悪いアメリカ映画の方が人々は好きで、それがなぜなのかはわかりません。

アメリカ人と呼ばれる人々に関して、少し奇妙なことがあります。そのことについて、私は、最新作『愛の世紀』の中で語ろうとしたのですが、どうもあまりうまくいかなかったようです。つまりアメリカ人と言われて、すぐに思い浮かべるのは、ニューヨークとロサンジェルスの間に住んでいる人々です。アメリカ人と言われて、リオ・デジャネイロやブエノスアイレスに住んでいる人を思い浮かべることはありません。メキシコ人を思い浮かべる人もいませんし、モントリオールに住んでいる人を思い浮かべる人もいません。因みに、ブラジルもメキシコもカナダも、それぞれブラジル合衆国、メキシコ合衆国、カナダ合衆国であり、合衆国(Etats-Unis)という形をとっています。ただ、何故か「合衆国」、この何処の合衆国なのかわからない「合衆国」の人々だけが「アメリカ人」と呼ばれるのです(笑)。カリフォルニアに住む人はカリフォルニア人と呼ばれ、ヴァージニア州に住む人はヴァージニア人と呼ばれ、ニューヨークに住む人は、ニューヨーカーと呼ばれます。しかし「合衆国」に住む人には名前がありません。「合衆国」とはその住人が名前を持たない唯一の国であり、名前がないために、その地域、大陸全体の名前をとって「アメリカ人」ということになっているのです。

かつてコロンブスがアメリカを発見した時、それは単数のアメリカを発見したのではなく、実は複数のアメリカを発見しています。しかもコロンブス本人は、インドに着いたと思っていたわけですから、アメリカの発見は誤りということになると思います。今日、そこに何か奇妙なことが起きています。名前がないと困るから、他の人の所に行く。いたる所に行く。自分の所では名前がないからです。その大陸に前に住んでいた人たちは「インディアン」と呼ばれていましたが、その呼び方も誤りです。ですからこのアメリカ人ということに関して、とても奇妙で不思議な点があるわけです。『愛の世紀』の中で、主人公にその話を少しさせましたけれども、残念ながら、誰も気づいてくれませんでした(笑)。

ひとつ昔から、ある面白いことがあります。今日、アメリカがイスラム原理主義者と呼んで、イスラム教に対して多大な対立をしていますけれども、昔から、そして今日でも、ハリウッドのことを、「映画のメッカ」と呼ぶのはなぜでしょうか。イスラムの聖地・メッカなのに、ハリウッドが映画のメッカと呼ばれています。このことについて、ハリウッドやサウジアラビアは考えるべきではないでしょうか(笑)。
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