ロックフェラー家と日本 日米交流をつむいだ人々 書評|加藤 幹雄(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月16日 / 新聞掲載日:2016年3月11日(第3131号)

国際交流をめぐるロックフェラー一族の二〇〇年

ロックフェラー家と日本 日米交流をつむいだ人々
著 者:加藤 幹雄
出版社:岩波書店
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一九二九年秋、二三歳のロックフェラー家三代目ジョン(ロックフェラー三世)は初来日し、京都での太平洋問題調査会(IPR)第三回会議に参加した。このとき三一歳の松本重治の知己を得、一九五五年、二人の交友と尽力と人脈により国際文化会館が開館したことはよく知られている。すでに日米両国で実業家としてのロックフェラー家に関するあまたの出版物が出され、近年日本では、米国側の資料を駆使した戦後米国の対日文化事業に関する研究書が次々と刊行されている。しかし本書はこれらとは違う。著者加藤幹雄氏は、開館間もない頃から国際文化会館において、「ジョンとシゲ」の紡いだ国際交流を傍らで見ながら、自ら実践してきた。その著者が国際交流をめぐるロックフェラー一族の二〇〇年を描いた。

サブ・タイトル「日米交流をつむいだ人々」とあるが、本書全体には三本の糸が縒り合っている。一つ目の糸は企業経営家としての金銭管理能力と組織指導力、それを支えるプロテスタントとしての倫理感が、両親のしつけによって、旧世代との確執を乗り越え、次世代へと受け継がれていることが示される。初代シニアの初期資産形成期は、折しも日本の開国維新、あるいは欧米でのジャポニスム流行期と重なっている。

第二の糸は、一族の異文化や東洋への関心で、とりわけ日本への関心は長く続いており、その萌芽は二代目ジュニアの世代からみられた。嗣子三世のジョンは初来日で着物姿の女性と日本庭園の美しさ、人々や街の清潔さ、日本人の礼儀正しさと親切さに強い印象を抱いた。だが滞在中に大恐慌が始まり、やがて太平洋戦争へ進む。二〇年以上の間隙を一瞬に乗り越えた戦後の松本との再会から、日米交流への強い使命感がジョンを動かした。

第三の糸は、個性を与えるネップ(糸の節)を伴ったフィランソロピー(社会貢献活動)の糸だろう。第三世代にも、第四、第五世代にも、時代とそれぞれの個性にふさわしい社会貢献活動が求められると、一族とその人脈が絡まってそれを実践する力となる。その背景には、母親たちが個性豊かな子供たちの精神形成に影響を与え、性別、人種、宗教、信条を超えて、多様な人々といかに信頼を作り関わるかを伝えていたことは大きい。

この三本の糸を紡いだ一例は皇室との長年の交流にあらわれる。一九二一年初の外遊では幻の訪米に終わっていた昭和天皇は、初訪米となった一九七五年、ロックフェラー別邸でジョンらと内輪の昼食会を楽しみ、「日本をよくしる人と語り合うけふのもてなし心にしみぬ」と詠まれた。ロックフェラー家の嗣子たちも皇室も職業選択の自由に恵まれてはいないが、一人の人間として信頼と友好を確認したといえよう。

たしかに一九五〇年代から七〇年代、日本における「知的」国際交流の中核組織は、国際文化会館であった。米国の意向を反映し、かつてジョンが語った伝統的な印象も残る日本において、華やかな日米交流を支えたのがジョンと松本であったことに異論はない。しかし戦後は知的交流だけでなく、様々な官民組織が次世代の新たな日米交流活動を探り始め、これらとの連携にもロックフェラー家の若い世代が関与する。次著には、彼らも著者も関わった、多様で息の長い国際交流が織り込まれた「錦」を拝読したい。
この記事の中でご紹介した本
ロックフェラー家と日本 日米交流をつむいだ人々/岩波書店
ロックフェラー家と日本 日米交流をつむいだ人々
著 者:加藤 幹雄
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「ロックフェラー家と日本 日米交流をつむいだ人々」出版社のホームページはこちら
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