鬱屈精神科医、占いにすがる 書評|春日 武彦(太田出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月16日 / 新聞掲載日:2016年3月18日(第3134号)

「諦念」が「明察」を生み出す図式や類型の受容

鬱屈精神科医、占いにすがる
著 者:春日 武彦
出版社:太田出版
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私は春日武彦の本を、これまで40冊近く読んで来ているのだが、昨年、それらをまとめて読み返す機会を持ち、読み残しを探してみるまで、一昨年(2014年)に刊行されていたものがあったことに、気づかなかった。たまたま本屋で目にしなかっただけなのかもしれないが、本書『鬱屈精神科医、占いにすがる』を読んで、別な理由があったのかもしれないと思った。

本書によると春日は、一昨年に出版された彼の著作が「黙殺」されたことに精神的なダメージを受け、それを一つのきっかけとして占い師のもとへ何度目かの足を運んだようなのだが、ちょうどその頃に私が春日の当時の新作を見逃していたのは、その時期に、作者の春日と、私を含む彼の熱心な読者との「縁」が薄くなっていたからではないか、なぜか私は、そう感じてしまった。それは、作者と読者との間には、何か見えない繋がりがあるのだという一種の「迷信」を、私が持っているからであろう。そして私は、多少なりとも「占い」を肯定している。

何年か前までは、そういったものに何の関心も持っておらず、それこそ黙殺していた私が変わった理由にも、本書の春日の文章を読んでいるうちに、思い当たった。春日と違い、私は精神科医ではないのだが、仕事で精神科の患者さんたちと何年か接するうちに、人格の特性よりも類型に、注目するようになったのだ。人の行いには、一回性よりも、図式性や類似性を見出すようになっている。それは本書で春日が、「『人の心模様は、(信じたくないけれども)驚くほど図式的である』という法則は精神科医として仕事をしているとつくづく実感する」と書いていることと相似性を持つだろう。そういった「実感」は、人の精神の病いへの分類も、占いによる人の運勢への分類も、似たものとして受け容れさせる。

読者である私は、作者である春日に自分と類似したものを勝手に見出し、自分の人生を省みるための参考にしているのだった。本書で春日は、「若い時分から、直感的に『この人はオレに似ている』と思える作家や芸術家を見つけ出すことに拘泥してきた。自分の内面と一脈通じ、しかも何らかの業績を上げた人物を手本に生きようとしたわけである」と書いている。

春日の「手本」となったのは、本書によると、眼科医でもあった小説家の藤枝静男や、医師でもあったアメリカの詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズなどである。二つの仕事が補い合い、好循環を齎すという生き方を目指したらしい。そして、それが達成されていることは、現在も臨床に携わるらしい春日が「日常に潜む神秘や真実を淡々と書き綴」った、「エッセイと小説の中間のようなもの」である本書が証していると言える(ただし、藤枝の作品「空気頭」が持つような「途方もなさ」は、いまだ現出してはいない)。

春日が目標としているわけではないにも関わらず、気になってならないらしい存在も、本書には書かれている。それは、山下清を発見したことで知られる精神科医兼文筆業者の式場隆三郎である。その時代ごとに醸しだされて来るのであろう世間の精神病への興味を巧く捉えて地位や名誉を手にした、いわば「精神科医枠」に収まることによって世俗の成功を得た存在。春日は自分を、その「劣化コピー」ではないかと自嘲したりもするのだが、そういう人は春日とは別に二、三人現存するので、気にする必要はないだろう。

それを気に病んでしまうのは、還暦を越えたことによる、老いに伴う衰弱だろうか。むしろ、老いの自覚による「諦念」は、図式や類型の受容という「明察」を生み出している。

あと何年か春日は、診察を繰り返しながら本を書き続け、時々占い師に会いに行き、本書にも書いてあるように、泣いたりもするのだろう。
この記事の中でご紹介した本
鬱屈精神科医、占いにすがる/太田出版
鬱屈精神科医、占いにすがる
著 者:春日 武彦
出版社:太田出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「鬱屈精神科医、占いにすがる」出版社のホームページはこちら
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