死んでいない者 書評|滝口 悠生(文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月16日 / 新聞掲載日:2016年3月18日(第3134号)

死んでいない者 書評
「語り」の境界をなくす試み 
不確かさの肯定は小説に何をもたらすか

死んでいない者
著 者:滝口 悠生
出版社:文藝春秋
このエントリーをはてなブックマークに追加
死んでいない者(滝口 悠生)文藝春秋
死んでいない者
滝口 悠生
文藝春秋
  • オンライン書店で買う
どんなに巧妙に気配を消していたとしても、小説には必ず「語り手」というものが存在する。

そしてコイツがつくづく厄介なのは、仮にすべてを知っていたとしても、すべてを公平に、等距離に見ているわけではないということ。視点が固定された時点で必ず死角も生まれるし、叙述の順番ひとつで物事のバランスは大きく傾いてしまう。

畢竟、世界は語るそばからこぼれ落ちてしまうのだ。その軛から逃れるには、世界を囲い込む行為、すなわち「物語」をどうにかこうにか放棄していくしかない――。『死んでいない者』という奇妙な響きのタイトルの裏には、そうしたアクロバティックな試みの一端もしれっと紛れ込んでいるのだろう。

ある一族の家長の葬儀が執り行われている。子供が五人、孫が十人。曾孫やそれぞれの配偶者、近所の幼馴染も入れれば列席者は二十数名にのぼる。末っ子の嫁は年嵩の孫の年齢とほとんど変わらないし、孫同士の年齢にも大きな開きがあるから、当人たちも曾孫との区別がついてない。いったい誰と誰が兄弟で、誰と誰がいとこ同士? というか母親のいとこの子供ってなんと呼ぶんだっけ? そもそも目の前にいるこのじいさん誰だ?――そんなカオスきわまりない通夜の晩にたゆたう、とりとめもない記憶と意識のつらなりを、本作は実に巧みな手つきであまさずこぼさず綴っていく。

特異なのはその視点――「語り」の位相だ。ただでさえ夥しい数の登場人物たちを俯瞰して整理することなく、そのつど誰かに寄り添ったかと思えば、いつのまにか別の視点へと継ぎ目なくスイッチングしている。そのなめらかさたるや筆舌に尽くしがたい。敢えてカテゴライズするなら三人称多元語りということになるのだろうけど、まさにその「多元」ぶりが常軌を逸している。

たとえばその「語り」は時折ふわっと浮びあがり、人びとの集まる斎場の空気全体を鳥瞰して見せる。のみならず、付近のラブホテルの一角やゴルフの練習場をこんなふうにも描写する。〈たとえ今誰もいなくても、かつてはあの四つの棟のどこにも数えきれないほどの誰かがいた。これからも数えきれないほどの誰かがあの部屋を訪れる〉〈誰もいないことを誰も見ていなかったし、誰もいないのに飛んでいる球も、誰も見た者はいなかった〉――要するにこの「語り手」は、いたかもしれないということ、あるいはいっそ、いないということ――つまり、わからないということをむしろ積極的に描写してみせるのだ。

では、そうしたわからなさ、不確かさの肯定は、小説に何をもたらすのか。各々の発言はカギカッコで括られることなく、すべて地の文の語りの中にシームレスに溶かし込まれる。結果、対話は眼前に存在している者たちだけでなく、かつてそこにいたはずの自分や、いつか訪れるであろう記憶も含めて渾然と交わされることになる。浮かび上がるのは、途方もなく複雑で豊饒で立体的な世界だ。そのてざわりは、「物語」を外側から見守る従来の「神」視点ではけっして得られない。
「語り」の境界をなくす試み。ここで思い起こされるのは、滝口と同じく新潮新人賞からデビューした上田岳弘の用いる「私」の位相だ。三島賞を獲った『私の恋人』も、ちょうど本作と同時に芥川賞にノミネートされた『異郷の友人』も、語り手である「私」は何度も転生を繰り返し、膨大な記憶にアクセスできることから「全知」に近い存在と化している。つまり「私」という語り手を拡張させることで、限りなく「神」視点へと近づけているわけだ。その結果、むしろ「語り」自体の不自由さのほうが際立ってゆく様子を巧みに描き出している点に、上田の作品の魅力がある。

わからないことにこだわる語り手と、すべてわかると言い切る語り手。両者の創作スタイルはいかにも対照的に映るが、根底にあるベクトルは同一の平面上に存在する。そこには、「語り」が「語り手」を容易に乗り越えてしまう――あるいは裏切ってしまう事実への、強烈な自覚があるのだろう。

現実のテクノロジーによって「語り」そのものの形が変わりつつある今、時を同じくしてこの二人の才能が現れたことに、意味を見出さずにはいられない。
この記事の中でご紹介した本
死んでいない者/文藝春秋
死んでいない者
著 者:滝口 悠生
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
「死んでいない者」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
倉本 さおり 氏の関連記事
滝口 悠生 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学 > 人生関連記事
人生の関連記事をもっと見る >