レプリカたちの夜 書評|一條 次郎(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月16日 / 新聞掲載日:2016年3月18日(第3134号)

レプリカたちの夜 書評
世界はそれほどつじつまの合うものではない

レプリカたちの夜
著 者:一條 次郎
出版社:新潮社
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レプリカたちの夜(一條 次郎)新潮社
レプリカたちの夜
一條 次郎
新潮社
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奇妙な世界だ。物語の舞台は、貧民街に囲まれた広大な敷地を持つ工場。シロクマを始めとしたさまざまな動物のレプリカを製造している。近隣には、兵士が家族連れで派遣されるシベリア軍の基地があるという。作中ではこの世界について、説明らしい説明があえてされていないので、登場人物の会話から少しずつ拾っていくと、次のような輪郭が浮かび上がる。

まず、ある法律によって、愛玩動物がパージされ猫も犬も絶滅してしまった。一方で、政治的な象徴に使える絶滅危惧種は保護され、現在、地上に生存しているのは人間にとって有用な動物だけ。それらを許可なく飼育するのは禁止されている。この背景には、人間中心主義の思想、すなわち神の恩寵を受けた唯一の存在である人間の知覚・認識する世界が全てでありそれ以外は認めないという考えがある。そんな社会にあって、シロクマも一度は絶滅の危機を迎えたが、人工的な繁殖によってその数は増え、今では社会進出を果たすほどになった。

一條次郎の『レプリカたちの夜』はこうした設定だけでも異様なのに、展開する物語はもっと奇妙だ。品質管理部で働く往本は、ある日、工場内で本物のシロクマを目撃する。同僚の粒山に一部始終を話すが信じてもらえない。すると、話を影で聞いていた工場長が、シロクマを始末しろと命じてきた。どうやら、外部からのスパイかもしれないらしい。こうして二人がシロクマの調査に乗り出すと、物語に歪みが生じ、往本の周囲では彼の記憶にないことや不可思議な事象が起こり始めるのだ。

終業後、何事もなく帰宅したはずが、次の日、粒山からトラックにはねられて一週間入院していたことを心配されたり、謎の扉を発見したところで何者かに殴打され、気づけば青色の血を吐く工場長の部屋に立っていたり。調査対象だったシロクマが突然自分の部長に就任したり、そのことを資材部のうみみずという女性と訝しんでいると怒り狂ったシロクマに襲撃されたり。なかでも、往本がドッペルゲンガーらしきものを目撃する場面は、作中でも仄めかされるが、ポーの名作「ウィリアム・ウィルソン」を彷彿とさせる。さらには狂気と謎に満ちた人物たちが彼の前に現れ、往本の世界を激しく混乱させていく。

自分は世界を操り、自在に天変地異を起こせるのだと妄言地味たことを吐く、粒山の妻を名乗る女。シベリア軍によって作られた人工生命体だとされる少女。往本の味方であり、秩序の側の人間のはずのうみみずも、強靭な反人間中心主義の思想の持ち主で、デカルトなどの哲学者を論難するその博覧強記ぶりは単なる工場労働者とは思えない。正気と狂気、秩序と混沌の境界線が次第に不鮮明となっていく世界で、往本は彼女らと共にやがてレプリカの正体を知る。だが、物語ラストに用意された奇想天外な結末は決して秩序を回復するような、読者に安心をもたらすようなものではない。けれども、読み終えてどこか不安になってしまうその落ち着かなさが、裏返せばこの小説を読む快楽になるのだから、不思議なものだ。

その意味では、本作を読んで評者はアメリカのポストモダン小説、特にポール・オースターの初期三部作を思い出した。理性を超越した世界で、秩序の歪みを享楽すること。そうか、世界はそれほどつじつまの合うものではないのだ、と訓えてくれること。そんな力に満ちた本作は紛れもなく傑作であり、稟質溢れるこの新人小説家の次の作品が気になって仕方がない。
この記事の中でご紹介した本
レプリカたちの夜/新潮社
レプリカたちの夜
著 者:一條 次郎
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
「レプリカたちの夜」出版社のホームページはこちら
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