異郷の友人 書評|上田 岳弘(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2018年7月18日 / 新聞掲載日:2016年3月25日(第3135号)

小説の進化への意志 
神として作品構造に組み込まれる読者

異郷の友人
著 者:上田 岳弘
出版社:新潮社
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異郷の友人(上田 岳弘)新潮社
異郷の友人
上田 岳弘
新潮社
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本作は神を巡る小説だが、それは単に超越的な存在を題材にしているという話ではない。重要なのは、私たち読者までもが、ある種の神として物語の構造に組み込まれてしまうという点である。

小説全体の語り手となる山上甲哉は、これまで何度も人生を繰り返しており、他人の意識や記憶を知る能力を有している。彼が意識を読むことができる人物は二人いて、それぞれJとSと呼ばれている。Jはアメリカでハッカーとして金を稼いでおり、Sの方は淡路島で三万人の信者を抱える宗教団体の教祖を務めている。そして、Sは自分の信者となった人間の意識を感知することができる。したがって、この小説においては、三万人の信者の思考を読むSが存在し、そのSの思考を読む山上にもまた自然と三万人分の意識が流れ込んでいくという構図がある。さらにそこへ、山上の特殊能力に気付き、彼を神と呼ぶEの思考までも紛れ込んでくるため、先に進むほど語りは複雑なものになっていく。

情報量の多さ、複雑な構成、分かりやすい物語の拒絶という点から、本作は明確にポストモダン文学としての特徴を備えている。だが、最も肝要なのはこれが新種のメタフィクションとして成立しているということである。メタフィクションとは一般的に、自分が作品の外部にいる存在だと読者に認識させる構造を持つ。それには多くの場合、作品内で「これは小説である」とする宣言や、語り手による読者への直接的な呼びかけといった方法が用いられる。

しかし本作はそうした方法を採用しない。本作にあるのは、読者が山上の上位存在となるような図式を作ることで、必然的にメタフィクションが成立してしまうような構造である。山上は他人の意識を読めるという能力によって、作品内で超越者として扱われる。ところがだ、私たち読者もまた、語り手としての彼に寄り添うことで、彼の思考のすべてを知ることのできる存在となる。言い換えれば、神と称された山上の意識を読める上位存在――いわばメタ神として私たち読者は作品構造に組み込まれてしまうのである。

興味深いのは、この神が全知全能の存在ではなく、逆に徹底して無力なものとして扱われている点だ。そのことが最も端的に表れているのが、本作のクライマックスにおかれている「大再現」の場面である。この「大再現」は明確に、二〇一一年に起きた東日本大震災とそれに伴う津波のことを指している。この災害に対し、山上は何ら有効な行動をとることができず、津波に飲まれるだけである。何回も生を繰り返せる彼は、死を束の間の休息と捉え、舞台を下りることになる。

けれども、物語から退場した神と異なり、メタ神である私たちは「大再現」の続きを生きなければならない。原発について、あるいは福島の復興について。様々な課題が私たちには残されており、容易にそこから退場することはできない。無力な神が去った後で、メタ神であったはずの私たちは再び人間へと戻され、現実についての思考を始めることになる。

このように小説というジャンルを利用して読者を巧みに翻弄し、メタフィクションの新たな可能性を開拓したという点で本書の持つ意義は大きい。構造に依り過ぎるあまり物語としての魅力が損なわれている点は残念だが、それ以上に私たちは、小説が扱える世界を広げようとする進化への意志を尊重すべきだろう。
この記事の中でご紹介した本
異郷の友人/新潮社
異郷の友人
著 者:上田 岳弘
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
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